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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

共通語としての植物【評=中野行準】

『《清須市ゆかりの作家》阿野義久展 生命形態—日常・存在・記憶—』

 

 最初の展示室に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは巨大な彫刻作品だ。壁に設えられたガラスケースに、標本さながらに展示されたそれは、〈作品A〉〈作品B〉とそっけなく名付けられている。植物の実の殻、あるいは蜂の巣のような物体が複数個まとめられ、その間から枝または細長い葉のようなものが飛び出ている。サイズのかなり大きな(全体の長さは2メートル程度)、これらの植物的な物体を前にして、私は、見慣れているようでいて、しかしまったく知らないものを見たように感じた。そんな印象といくばくかの戸惑いを抱えたまま振り向くと、今度は〈人のカタチ〉という題名の絵画がある。描かれているのは首から上と腿より下の部分を欠いた濁った緑色の物体で、人体というよりはなにかの植物のように見える。腐ったオリーブの実のようなものが、胸のあたりに2つ、そして下腹部にも同様のものが3つ描かれており、下腹部の3つの実状のものは、奥行きと位置関係からして妊娠した女性の腹と腿のように見えるし、巨大化した男性器のようにも見える(1)。本来首があるべき場所には尖った突起のようなものが描かれていて、それは外部に向けて攻撃的であることで自分の身を守る棘のようだ。植物的な要素を持った彫刻作品を見たあとでこの絵画を見ることで、私は無意識的に人体を植物的な何かとして見ていたのだろう。そして再び振り返れば、さきほどの彫刻は人間の内臓の器官のようにも見えるのだった。

 

〈作品B〉(1988年)      〈人のカタチ〉(1984年)

 

 人間と植物。これらが阿野義久のテーマであることは間違いない。そして阿野は、ふつう別のものだと考えられているこれら2つのものを混ぜ合わせようと試みているようにも思える。中期に描かれた建物群では、タワーは小骨の連なりでできているようにも棘の連なりでできているようにも見え、画面の中央を占めている球状のタンクは、人体の一部のようにも球根のようにも見える。境界横断的なこれらの絵がもっぱら形の類似関係によって描かれているのは重要な点だろう(2)。阿野の行うワークショップでは、はじめから対象を描くのではなく、まず粘土を用いてなにかの形を作ってから対象を描くという手順が重視されている。はじめに手を使ってイメージを造形していくことによって、作り手の内部にあるものが表現しやすくなるのだという(3)。阿野自身も制作の際に取り入れているというこの手法によって、阿野の境界横断的な絵画は生まれているのではないだろうか。つまり、対象となる事物と作家の内にあるさまざまなイメージが、容易に変形し得る粘土を媒介とすることによって、独特なアナロジーの関係を取り結んでいるのではないか。その独特なアナロジーの効果によって出来上がった作品の形は、単なる対象の再現にはとどまらない。それは多種多様な存在を内に織り込んだ、未知の「カタチ」になる。

 

 「カタチ」は、近年の作品である植物の図譜にまでつながっている。展示のキャプションによれば、これらの絵画は阿野の幼い頃の記憶をもとにして描かれたという。阿野の記憶に刻み込まれているさまざまなものが「カタチ」となって画面に現れているといえるだろう。当然、ここには本人以外には知ることのできない秘密が含まれている。だからといってこれらの絵画が見る人になんの感情も呼び起こさないというわけではない。これらの絵画に描かれた植物の「カタチ」は同じ記憶を共有しない人の心にも強く訴えかけてくる。阿野とは育った場所や時代が異なる私も、これらの絵画に惹かれたし、これらの絵画を眺めているとき、過去のある記憶を突然思い出した。祖父母の家の車庫の土で育てたじゃがいも、その土にまみれた黄色い肌。私がこういうことを思い出したのは、阿野の絵にじゃがいもが描かれていたからではない。多分、描かれた植物の「カタチ」が、私の内にあるなんらかの記憶と結びついたのだ。そして、そのとき植物の「カタチ」は絵画と私の記憶の媒介として働いていたのだろう。これは当然私以外の人にも起こりうる。植物はつねに私たちのまわりに存在している。たとえ忘れられていたとしても、人の記憶の情景の片隅には必ず植物がいる。そこに阿野の描く植物の「カタチ」が作用する。阿野の絵画は共通語としての植物を通して、私たちの記憶に働きかけてくるのだ。

 

〈植物図譜〉(2022年)

(写真は全て著者撮影)

 

(1)ちなみに今回展示されていた〈人のカタチ〉シリーズの4枚のうち、3枚までが身体の性別がわからないように描かれている。

(2)展覧会図録『《清須市ゆかりの作家》阿野義久展 生命形態—日常・存在・記憶—』(清須市はるひ美術館、2022年)23ページ。

(3)本展には阿野がヨーロッパに滞在した際のスケッチも展示されており、輪郭だけが描かれたそれらのスケッチからも阿野が形態を重視していることがわかる。

 

展覧会のURL

清須ゆかりの作家 阿野義久展 生命形態 ―日常・存在・記憶― | 清須市はるひ美術館