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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

青森の山を歩く人へ【評=中村絵美】

山田耕一郎『青森県山岳風土記』(北の街社、1979)

 

 旅に出た先で本屋に立ち寄れば「郷土本コーナー」があって、地元出版社や地元作家に関連する著作が並べられていたりする。多くの本好き、あるいは郷土誌好きがそうであるように、私もそうした本棚を眺めるのが好きだ。でも、そんな余裕のある旅って大人になるとなかなか難しいものだ。日本では地方書店が次々閉店しているというからなおさらかもしれない。最近、私は旅先の地名を思い返しつつ国立国会図書館デジタルコレクション(NDL)で検索するようになった。NDLには、目次まで検索できるようにした登録図書が増えていて、ちょっとマイナーな地名で検索しても何らかの書籍はヒットする。書店にはもう並ぶことのない古い郷土本を探す強力なツールとして使えるのだ。

 

 『青森県山岳風土記』は、そんなNDLの電子図書の海の中から見つけた。歴史の本かと思ったら優れたネイチャーエッセイだったので驚いた。風土記とあるように、山についての自然科学的な知識だけでなく、関連する歴史や文化的な情報を引き合いに出しながら記述していくというスタイルで書かれている。さらに、面白くもあり、驚くべきことは、著者の自然科学の知見のほとんどは、青森県内の山々を実際に歩いて得た知識だということだ。

 

 本文中ではあまり詳しく触れられていないが、奥付の著者経歴を見ると、著者は青森県営林局職員として天然林調査、土壌調査などに携わった方らしい。植生や地形の変化に対する鋭敏な感覚はそうした業務で養われたものだろう。たとえば高地に登り切った時の樹木や草木の種名の記述は非常に丁寧に的確になされていて、まだ訪れたことがない場所でも、文章を読むと景観をいくらか想像できるような気がしてくる。植生や地形の情報は、たとえばこの著者が関わった調査報告文などの行政文書でも読み取れるのかもしれないが、ヒバ(ヒノキアスナロ)の造林に対しての記述を読むと、著者が客観的記述を強く打ち出すことなく、あくまでも主観的に、自然の描写を優先したエッセイをまとめた理由が分かるだろう。この人は山や草木のことが好きなのだ。

 

 最初の登り勾配はかなり急である。しかし、これ以上のものはないといえる津軽のヒバ美林の間を縫う道だから、その美しさを堪能しながらゆっくり登れば楽しみも増そうというものである。

 

 ヒバは老いるとかなり上の方まで下枝を落とし、足元に光を入れて、そこに子供を育てる空間を作る。二、三本ずつの幼木の集合が更にいくつか集ってサークルを形成し、次第に力を付けていく頃になると、親木は使命を果たして人間の文化のために役立つことになる。人と植物の関わり合いは、本来このようにあるべきものだろう。親木が子供の養育をしっかりやり遂げないうちに、人間の一方的な都合だけで親木を皆伐り倒してしまうような勝手は、絶対に避けるべき事態である。(「北海道の山なみが見える 鋸岳」:50-51)

 

 冒頭1章目となる「ふるさとのヒバが生えている 燧岳(ひうちだけ)」には、地図上の山の標高数の記載数値の変遷を巡ってのくだりで、次のような記述がある。

 

 かつて、下北半島全体が要塞化していた時代には、半島全山の実際の海抜高が明示されてはいなかったという。未開の地、下北の秘められた事実が、ここにもあるような気がする。(9)

 

 「あとがき」では、著者は山歩きをレジャーとしてではなく、「ある秩序をもって進行している自然の掟や生い立ち、物語、そして山とそこに住む人々のドラマを感じながらの山歩き」だと表現し、本書を「一つの記録」と位置付けている。そして、次に同じ山を登る人があれば山の景観を本書と比較してほしい、何か変化に気付くことがあれば、それが「新しい自然の掟の発見の糸口」になるかもしれない、と述べる。(204)

 

 いずれも鋭い視点だろう。著者の記述には地元の方々の道案内の描写が頻出するので、当時の情報の少なさが推察される。いまも青森の山や自然に関する情報は、本州の他の場所に比べて少ないと思うが、その時より格段に地図も道も整備され、誰でも歩ける山が増えた。しかし本書は決して古びることなく、これからも青森の山を歩く人にとっての貴重な参照点になることだろう。