Coyote Reading

明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

グローバリズムとリージョナリズム(評=大竹典子)

渡辺京二『近代の呪い』(平凡社新書、2020)

 

 本書はフランス革命や日本の江戸時代などの歴史を振り返りながら、近代とは何だったのかを多方面から考察する。非西洋地域から見るならば近代化とは西洋化に他ならない。その西洋化がグローバリズムというかたちで世界の隅々に浸透した現代世界の課題は何か。

 

 著者の渡辺京二は、歴史学者というよりは作家であり、学界の人ではなく在野の思想家だ。だからだろうか、意表をついた、わかりやすい例を示しつつ歴史の流れを語ってくれる。

 

 渡辺は「近代の呪い」として大きく次の二つを挙げている。それは、自由な資本経済の世界化によりネーション・ステイト間に熾烈な競争が生じ「民族国家の拘束力がますます強化される」ことと、「世界の人工化」である。

 

 ここでは後者に注目したい。「世界の人工化」の説明で、渡辺は興味深いエピソードを紹介している。幕末、西洋人の宣教師から聖書を読まされた侍が「人間が草や木よりも尊いものであろうとは」(149)と驚嘆したというエピソードは特に印象に残った。「人間が草や木よりも尊い」という考えは、近代ヨーロッパに端を発した人間中心主義的な思考に他ならない。このことについて、渡辺は次のように書いている。

 

 世界の人工化ということはその根底に、この地球という実在を人間の便益のために存在する、つまり自然は人間にとっての資源であり、その意味で人間に所属する財産であるという感覚があるからこそ生じるのだと思います。そしてそういう感覚を普遍化したのが、人間を特別視して、人間の便益と快適を至上目的とばかり追求して来た近代だと思います。私が一面ではそういう近代ヒューマニズム、人間は経済的にゆたかになり、便利で安全で快適な生活を送る権利がある、それはどんな人間にも保障されねばならぬ目標であるという近代ヒューマニズムのもたらしたものを高く評価するものであることは、先に申し上げたとおりです。しかし、そのように生活のゆたかさ、快適さの実現が、コスモスとしての世界、自然という実在との交感を断ち切ってしまい、その結果、結局は死すべき運命にあるはかない人間存在を、コスモス=自然という実在の中に謙虚に位置づける感覚を失わせてしまうことになったのを近代の呪いのひとつと思わずにはおれないのです。世界の人工化とは世界の無意味化でもあるのです。(156-157)

 

 注目すべきは、著者が、近代を批判するばかりではなく、「近代の贈り物」(136-141)についても述べていることだろう。西洋近代は「人権・平等・自由」を共有すべき社会的価値として定着させ、近代科学とそれに関連するテクノロジーを人類に供与した。こうした「贈り物」の側面と「呪い」の側面の両義性こそが「近代」の特徴なのではないだろうか。

 

 渡辺は、これからの課題として、最終章で次のように説明している。

 

 グローバリズムとは史上何回も生じた世界の資本主義的市場社会化の波のことでありますが、近年のそれはその最大にして最後のものかも知れません。最後というのは世界の資本主義的市場化が完了すれば、あとに残るのは地球規模の均質的斉一的なモダンライフにほかならないからであります。この資本主義的市場社会化は史上初めて一般大衆の生活にゆたかさをもたらしたのでありますから、たんに否定的にとらえることはけっしてできません。これは人類にとって必要かつ必然なプロセスであったのです。しかし、この波は土地に根ざした人々の共同生活を根底から破壊する力を秘めております。その力の跳梁するままに任せるわけにはゆかないのです。このふたつの要素をどうにかして調和させ、統合する必要に私どもは迫られております。(184-185)

 

 今、わたしたちは経済理念の陰に忘れられたものを再発見していくことを求められている。そしてそれは、前近代の人々がそうしたように、人間存在を自然の実存のなかに謙虚に位置づけ、人間も自然の一部であるという概念を取り戻すことにはじまるだろう。

 

 

驚くべき解剖学者の生涯の秘密【評=管啓次郎】

養老孟司『なるようになる。』(中央公論新社、2023)

 

 養老孟司さんの語りによる自伝といっていい『なるようになる。』を、聞き手である読売新聞の鵜飼哲夫さんからいただき、早速読んだ。おもしろい。奇人といえば奇人、だが「哲学とは常識批判」と仮に定義するなら、これほど哲学的な人物はめったにいないだろう。養老さんには、なんというか、古代人のようなところがある。その発想ないしは生きる態度がよくうかがえる快著だ。

 

 生涯のエピソードのどれに感銘をうけるかは読者ごとにちがって当然。ぼくがおもしろいと思った点のいくつかを、覚え書きとして列挙しておく。

 

 幼時(6歳?)、三菱商事に勤めていた父親の臨終に立ち会う。

 

 「お父さんに、さよならを言いなさい」

 父は、こっちを見ていましたよ。でも私はずっと言葉に詰まって声すら出ない。すると、父がニコッと笑い、それからパッと喀血した。それで終わり。(18)

 

 おそらくこの経験のせいで、挨拶が苦手な子供になる。しかしその理由にはたと気づいたのは40代になってからだそうだ。「父という大切な存在にもできなかった挨拶を、他人にするわけにはいかない──」。大人になってこれに思いいたった瞬間、「私の中の父は死んだ」と思い、涙がさっと出たという。自己分析の根本的な秘密にふれる洞察だ。

 

 もうひとつ、子供時代の話。

 

 ちょうどその頃、左利きを右利きに矯正されました。その副作用じゃないか、と思うのは、今でも「短」という字のヘンと旁が混乱し、左側が「豆」なのか「矢」なのか、わからなくなります。(24)

 

 この経験はぼくにはわからないが、そういうこともあるのだろうか。じつにおもしろい。他の左利きのみなさんに訊いてみたいところ。

 

 敗戦後、疎開先から戻ると、小学2年生のクラスで教科書の墨塗りをやらされた。しかしなんでも文字があればすぐに読んでしまう子供だったので、墨塗りはまったく意味がない。塗るまえに読んでいる。むしろこの経験が教えたのは、国がやることが無責任で、どんな影響が出るかをまったく考えていないということだったようだ。明治維新、しかり。敗戦後の激動、しかり。

 

 思えば、明治維新でも、江戸時代に260年間やってきたことをガラッと変えた。どうも日本社会には世の中をそうやって変えてもいいという乱暴さ、楽天主義がある。

 逆にいうと、制度やシステムなんていうものは、諸般の事情によっては変えてもいい、過去のものも必要ならば捨ててもかまわない、と考える。明治の大日本帝国憲法だって、不磨の大典といわれたのに、戦争に負けたとはいえ、新しい憲法になった。この楽天主義がどこから来たのか、今でも疑問に思っている。(36)

 

 まさに。このような制度の破壊をめぐる「楽天主義」と、すさまじい自然嫌悪に基づく国土破壊(山河を見よ、海岸を見よ)は一体のものではないかとぼくには思えるが、日本よ、よくこんなむちゃくちゃなことをやるなという感慨が、養老先生の「脳化社会」批判につながっていることは確実だろう。要するに、頭で考えただけの単純きわまりない計画を、何の歯止めもなく実行してしまう。日本はそういう社会だ。東日本大震災後の巨大防潮堤建設など、その最たるものではないか(これはぼくの意見)。その対極にあるのが具体の科学としての昆虫学であり、現実に虫を探し捕え考えるというプロセスだった。のちの解剖学者を生んだのは昆虫採集の経験だったわけだ。

 

 5年生だったか、6年生だったか、ミヤマクワガタを寺【鎌倉の妙本寺──引用者注】の裏山で見つけたときはドキドキして、心臓が口から飛び出すかと思った。背の倍ぐらいの高さの木の枝にいて、網が届くかどうか、ギリギリの場所にいる。平地にはあまりいない虫なので、採れたときは、それはうれしかった。(43)

 

 この少年時の経験が、2015年には鎌倉の建長寺に「虫塚」をつくり、毎年6月4日(虫の日)に供養をするという行動につながった。ところが昆虫という、おびただしいものたちの存在も、現代世界では深刻におびやかされている。

 

 世界の森林が年間500万ヘクタール減っていることも、虫にとっては大変です。日本全体の森林面積が2500万ヘクタールですから、日本が5年で裸になるくらいのスピードで森林が減り、そこで生きる虫たちは住処を失っている。(154)

 

 戦慄せざるをえない状況が世界を覆っている。地球の生命がつづいてゆくにはヒトの自己収縮以外にないということは明らかだと思われるが、産業・流通・エネルギー消費などの全般的体制を見直すには、いまが最後のときかもしれない。そんな大きな話を養老先生がするわけではないが、脳の独走を戒めるという彼の基本的主張には、当然そんな射程が折りこまれているといっていいだろう。

 

 最後に、養老さんの自己引用を引用する。初出は論文「トガリネズミからみた世界──携帯から推理する」(岩波書店「科学」1977年11月号)とのこと。

 

 生き物を扱う人は二つに分離しているようにみえる。生き物を他者とみるか、同胞とみるかである。他者とみる性向が強ければ、生物の多様性や生物間の差異は自明であり、したがって前提となる。論理による共通性の追求が表面に現われ、いわゆる本質論をなす。ヒトと動物を峻別する伝統に立つ西欧の生物学が大きくこちらに寄るのは故なしとしないであろう。生物を感性的に同胞と認める性向がどこかで刷りこまれてしまった人にとっては、生物の同一性は前提となり、多様性が逆に驚嘆の的となる。(109)

 

 そして次の段落。深く感動させられた。

 

 生物はこの地上に一回だけ現れたものであり、唯一度の歴史を経てきた。生物学においては、取り扱う主体も、取り扱われる対象も、同じ長さの歴史的時間の所産であり、同じ法則に従ってでき上がってきたはずのものである。この二つの存在の間に、それゆえの何か絶妙な “共鳴” を期待するのは誤っているであろうか。もし生物学が他の自然科学から際立った所がありうるとしたならば、このような同胞の間に成り立つ「共鳴」ではないだろうか。(110)

 

 養老さんがこの原稿を解剖学の恩師・中井準之助に読んでもらったところ、師は「共鳴」のところに赤線を引っ張って「合掌」と書いたという。いい話だ。生物の世界では、種と種とは互いにそっと掌を合わせて生きているのだ。この文が書かれた1977年のぼくは大学1年で、雑誌「科学」を手に取るという発想すらなかったし、たとえこの文章を読んでも少しの共鳴もしなかっただろう。ぼくが初めて養老孟司の名を知ったのは1986年、雑誌「エピステーメー」の編集部でのことだった。編集長の故・中野幹隆さんが養老さんにむかって「あなたの発想にはミシェル・フーコーのそれに通じるものがある」といってフーコーの著書一式を段ボール箱で養老さんに送り、なんでも自由に論じてくださいと依頼したという話だった。中野さんの慧眼が見ていたものをぼくは見通せるわけではないが、近代社会の個人主義的人間観に対する批判、脳がみずからつくりだしている認識の壁に対する反省といった点を、両者が共有していると中野さんは考えたのではないか。

 

 養老さんの鎌倉の自宅書斎の机は、1932年の「5・15事件」で射殺された当時の首相・犬飼毅のものだったという。どういう事情でそれをもらいうけたのか知りたい気もするが知らなくてもいい。ただそのような具体物が身近にあれば、それなりに歴史についての考え方も変わってくるだろうとは思う。

 

 天皇制についての考えなど異論も多いが、養老さんの広大な森のような複眼的発想には、これからも折りにふれては多くを学びたいと思っている。自分の常識をくつがえすために。

 

リチャードくんと目が合って【評=林真】

ロバート・ヒンシェルウッド/スーザン・ロビンソン著、オスカー・サーラティ絵『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳、北岡征毅訳、金剛出版、2022)

 

 まず書いておかなくてはならないのは、本書が文字通り「グラフィックガイド」だということだ。精神分析家メラニー・クライン(1882-1960)の伝記的紹介を通じて彼女の探求した諸概念を解説する本書は、グラフィック・アーティストのオスカー・サーラティによる強烈なイラストレーションによって成立している。文章に挿絵がついているのではなく、絵と活字の文章とが一体となっているのだ。

 

 最初その絵柄を見たとき、正直にいえば「怖い」と思った。次第にユーモラスで愛嬌がある絵柄にも思えてきたが、そこには単なる戯画化ではない切実さが込められている。読み進めるうちに気づいたのは、クラインの分析が扱った人間の精神というものもまた、実際に恐ろしく、ときに愛嬌があり、切実なものなのだということだ。著者たちは次のように書いている。

 

 メラニー・クラインならではの内的世界の理解は、桁外れに深かったが、人々を困惑させた。彼女は、摂取された人物たちと非常に豊かに生きている内的世界を発見したのだった。それは、子どもが自分の内側にいる人たちと遊んでいるかのようだ。子どもがおもちゃで遊んでいるときとちょうど同じである。不安ではあっても、創意に富むと、子どもは安心する。(97)

 

サーラティのイラストレーションは、この状況を上手く表現していると思う。ときに不安を誘う絵があっても、その創意が安心をもたらしてくれる。

 

 クラインと精神分析のセッションをおこなった子どものひとりにリチャードという少年がいた。最初リチャードくんの絵と<目>が合ったとき、私は疑問を抱いた。彼はどうしてこんなにおそろしく描かれているのだろう? しかし終盤にまったく同じイラストレーションが登場した際、私は思わず涙ぐんでいた。理由を詳しく書くことはしないが、少なくとも怖かったからではない。多数のイラストレーションを通じて、それらを見る私自身が変化していた。

 

 メラニー・クラインにすでに詳しい読者が本書をどう受け取るかはわからない。しかし私にとって本書は、クラインの思想を知るための非常に良い手がかりとなった。次はクリステヴァのクライン伝に挑戦してみようか。

 

「支払われない労働」の重量差【評=大洞敦史】

I. イリイチ『シャドウ・ワーク 生活のあり方を問う』 (玉野井芳郎/栗原彬訳、岩波現代文庫、2006) 

 

 台湾の人に、東京出身だと自己紹介すると、7割くらいの確率で「便利な町ですよね、いいなあ」などと言われる。


「必ずしもそうではないですよ。満員電車での通勤通学は非人道的だし、住宅地と商業地域がはっきり分かれていて車やバイクを持っている人も少ないので、自転車に乗れないお年寄りは野菜を買うにもバスに乗らないといけないし、親が田舎にいる若い夫婦は勤めながら家事育児をこなしているし、シングルマザーとかファザーならもっと大変です。少子化とはいえ、受験や就職活動のプレッシャーは依然として大きい。やっと就職できたとして、20代の手取り月収は20万円ちょいですが、そのなかから家賃、光熱費、通信費、食費、保険料、服飾・化粧品・理髪代などを引くと、貯金もろくにできないし、外へ遊びに行ったり飲み食いする余裕もないので、休日は家にこもってSNSや映画を見たり、スマホゲームをして過ごす人が多いんです。収入は多少低くても、台湾のほうがずっと便利な生活ができますよ」……などと返したい気持ちになるが、初対面の人にそこまで言っても互いに何も得るものがないので、大抵はさらりと受け流すだけだ。


 逆に、台湾に対して憧れに近い感情をいだく日本人も、増えつつあるように思う。毎年おびただしい数の台湾本が出版されているし、タピオカブームは鎮まったが、台湾関連のイベントはどこもにぎわいを見せている。私は台南という地方都市に12年暮らすあいだ、台湾好きな日本人に数えきれないほど会ってきた。3年間で50回以上も台南に遊びに来た熱狂的な人もいる。


 いったい台湾の何が、ここまで日本の人々を引きつけるのだろう。タピオカミルクティーやルーロー飯の奥にひそむ、魅力の核心は何なのか。そんなことを考えていてふと思い出したのが、学生時代に読んだこの本である。

 

***

 

 タイトルになっている「シャドウ・ワーク」とは、産業経済のなかで賃金を受け取る労働を行うために、当人または家族が行わなければならない「支払われない労働」を指している。思想家イヴァン・イリイチにより、1980年ごろ提唱された概念だ。その最も顕著な例として、女性に求められる家事が挙げられており、さらには「買物に関係する諸活動、家で学生たちがやたらにつめこむ試験勉強、通勤に費やされる骨折り」(208)なども含まれる。


 これらは現代の経済システムに深々と組み込まれており、イヤだからといって、容易に取り外せはしない。「〈シャドウ・ワーク〉の支払われない労働というかたちは、賃金が支払われていくための条件である」(209)。


 賃労働とシャドウ・ワークは、相互補完的な、密接不可分の関係にあるが、金銭を尺度に順位づけられる社会において、両者に対する見方には、天と地ほどの開きがある。お金を家にもたらす仕事は尊く、本質的なものであり、そうでない仕事は周縁的で、たいした価値もないが、それにも関わらずほぼ強制される。そんな矛盾が、疑問を呈されることもなく存在してきた。


 このような労働の差別化は、それに従事する人への差別化、ジェンダーの不平等とも密接につながっている。動物行動学者・人類学者・社会学者たちは、生産者である男とそれを補助する女という形態が、人類ひいては動物界に普遍的なものであることを示す例証をかき集める。


 しかしイリイチによれば、こうした「経済的二分岐」と「両性間のアパルトヘイト」は、「十九世紀的労働観念」によって確立されたものだ(225)。


 一方、賃金の支払われない労働という点では共通しているが、シャドウ・ワークとは性質の異なる、「日々の暮らしを養い、改善していく仕事」として、イリイチが積極的な意味を与えている活動がある。それは「ヴァナキュラー(vernacular)」という言葉で表される。訳者の玉野井芳郎氏はこれについて次のように補足している。

 

それは、生活のあらゆる局面に埋め込まれている互酬性の型に由来する人間の暮らしであって、交換や上からの配分に由来する人間の暮らしとは区別されるものなのである。(311)


 このほかにも、”subsistence”というキーワードがある。これはイリイチの先達である経済学者カール・ポランニーの重視した概念で、「地域の民衆が生活の自立・自存を確立するうえの物質的、精神的基盤というほどの意味」(314)だと玉野井氏は書く。本書では「人間生活の自立・自存」と訳されている。


 本書は、シャドウ・ワーク、ヴァナキュラー、人間生活の自立・自存という三つの多義的な概念について、独特の歴史観をもつイリイチが、次から次へと歴史上の事例を引き合いに出しながら解説したものだ。初めはとっつきにくいが、読み進めるほどにイリイチの主張や、彼の思想が包含する途方もないスケールの大きさが感じられてくる。同時に私たちの多くが当然だと見なして疑わない社会システムや日常活動のもろもろについて、いま一度問い直すための視座を与えてくれる。

 

***

 

 国や地域を異にしても、仕事そのものはさほど変わらない。農家は作物を育て、パン屋はパンを作り、作業員は工場でものを作り、商店は品物のよさをアピールし、葬儀屋は粛々と儀式を執り行う。しかし、そうした仕事を継続して行うために、勤務時間以外に日々こなしているシャドウ・ワークが当人にもたらす負担の大きさは、社会によって明確な差異があるように思える。


 例をあげよう。私が台南で蕎麦レストランを営んでいた頃、面接に来た人の住まいがバイクで片道15分以上かかる地域だと、一抹の不安をぬぐえなかった。そして案の定、長続きせず辞める場合が多かった。台南の人にとって、15分という通勤時間は「長い」からである。


 またシングルマザーとしてお子さんを連れて台湾へ渡り、再婚と出産も経験し、現在台北在住ライターとして活躍している近藤弥生子氏は、エッセイ集『台湾はおばちゃんで回ってる⁈』(大和書房)のなかで、働く妻・母親にかかる負荷を分担してくれる数々の台湾の制度や互助的な人間関係の体験例を数多く紹介している。


 このような、シャドウ・ワークが生活に占める度合いの差が、海外の人々から見ると台湾の人々が、台北の住民から見ると台南の住民が、よりゆったりと人間的な暮らしを営んでいるように感じる理由の根幹ではないかと、読み返してみて思った。


 「地図にない町を探したきゃ、最初に地図が必要だ」とはさだまさしの歌の一節だが、現状を踏まえて、より望ましい社会や個人の生き方を見出すためには、現代の枠組みを相対化できる視座が必要だ。イリイチのそれは中世ヨーロッパだった。日本やアジア諸国の近代化以前の社会も、その可能性を有していることだろう。

 

世のすべての才人が顔色を失なう才人の文章力のかけら【評=管啓次郎】

『伊丹十三(人と物 8)』(無印良品、2018)

 

MUJI BOOKSを初めて買った。150ページほどの文庫本、定価500円。興味深い著者が並んでいるが買ったのは伊丹十三。なつかしい。高校生のころ、『ヨーロッパ退屈日記』や『日本世間噺体系』を愛読した。ひとことでいって頭のいい文章だ。多才で博識、皮肉でユーモラス、世界的俳優でレタリングの名手。かっこいい大人の代表だった。この無印良品の冊子に収録された文も楽しめる。小一時間で読めるが精神に良い刺激になる。写真図版もいい。あきれるほどの絵のうまさには感嘆するしかない。どれかひとつといわれるなら「扇子」というわずか5ページのエセーを薦める。この文、この挿絵。文章の特徴としては、結末ですっとはずすセンテンスがじつにうまい。「扇子」においては「この白扇は百五十円くらいのものらしい。」どうでもいいことが妙なリアルさを全体に与える。何の役にも立たない知識を語って整然とした凝縮力をしめすのが随筆のエッセンス。不世出の才能だった。

 

虚懐を抱き、秋聲をきく【評=中野行準】

藤枝静男『虚懐』(講談社、1983)

 

 虚(虛)という字の下部は丘の形をしている。丘には都があり、神聖な建物や墓地があった。それが荒れ果てたのが廃墟で、虚はもともと廃墟を意味する。そこから、現存しないことの意味になり、虚しいことや嘘を意味するようになる。懐(懷)という字の右側は、死者の衣のあいだに涙が流れる様子を表しており、その意は死者を懐かしみ、懐(おも)うこと。過去をなつかしく懐うという意味にも使われる(白川静『常用字解 第二版』〔平凡社、2012〕)。どちらの字も、今ここにはないが、かつてはあったものに深くかかわる。「虚懐」は「虚なる懐い」、無心という意味だが、そこには喪失と不在に対するおもいが強く感じられる。

 

 この言葉は漱石が生前最後に詠んだ漢詩にみえる。本短編集が藤枝静男の生前最後に出版されたのは偶然だが、この時期、藤枝が自らの死を見据えて執筆していたことは間違いない。漱石の漢詩から、虚懐という語が出てくる前半部分だけ引用する(漢詩の訳や注釈は吉川幸次郎『漱石詩注』〔岩波文庫、2002〕と古井由吉『漱石の漢詩を読む』〔岩波書店、2008〕を参照した)。

 

眞蹤寂寞杳難尋

欲抱虚懐歩古今

碧水碧山何有我

蓋天蓋地是無心

 

 真の道は漠として尋ね難いけれど、虚懐(=無心)を抱いて目指したい。山にも河にも我はない、天地はすべて無心。有名な「則天去私」の心境だ。『虚懐』には雄大な山や河は出てこないが、小動物がたくさん登場する。藤枝はかれらに虚懐=無心を見ていたのだろう。ジョービタキ、鵯、碧鳥、尾長、鶯、目白、蝦蟇、田螺、大烏貝、ヤマカガシ、ヒバカリ、鯉、鮒、亀、ハムスター。これらの小動物が浜松にある藤枝の家の庭を飛び、走り、泳ぎ、這い回る。かれらの振る舞いは可愛らしく、読んでいて楽しい。たとえば庭の池を出入りする亀をえがいた次のような場面。

 

石亀が四つ脚を踏ん張って身体をかなり高く浮かせた恰好で、首を前上方に伸ばしながら急ぎ足で(も可笑しいが実際かなりの速さで)二メートルばかりのところにある雑木の植込みから私の足もとに向かって一直線に這ってくるのであった。(中略)それから更に首を婆芸者のように伸ばして水面の方に身体を乗り出して行った。前脚が宙に浮くと後脚を横に踏ん張ってじりじりと進み、あるところまできて重心が前方にかかるとちょうど板ぺらが反転するように頭から水に墜落して潜って行ったのであった。(58-59)

 

亀が池に入るところが非常にいきいきと、映像的にえがかれる。「婆芸者のように」首を伸ばすというところはよくわからないけれど、それはそれで面白い。

 

 思うように遠出ができなくなっていたこの時期の藤枝にとって、かれらの振る舞いは心慰むものだったろう。しかし、小動物の振る舞いは可愛さに尽きるわけではない。蟻地獄が蟻に凄まじい攻撃を仕掛けるところや、蟇の大群が一所に集まり交尾する「蟇合戦」、大スズメ蜂が蜜蜂の腹を食いちぎるところなど、グロテスクな描写も少なくない。藤枝はそういった振る舞いにも虚懐を見ていたのだと思う。最晩年のインタヴュー(『文學界』1985年5月号)で藤枝は「人間が出てくると、ぶち壊しになる、という気がするのね。(中略)こすく〔原文はこすくに傍点〕ないところがいいんだ。動物はみなちゃんとしている。(中略)人間だけがダメではないかという気持〔ママ〕がいつもあるんだよ。これに対し、信頼すべきものとして自然はある」と述べており、これは『虚懐』の世界を端的に言い表している。と同時に、多分この世界の真理でもある。動物はちゃんとしている。動物はこすくない。

 

 こうした小動物の描写に差し挟まれるようにして藤枝の日常生活が語られるのだが、それらの描写からは、一体この人には何が見えていたのだろうかと思わされる。秋のはじめ、雨が上がったばかりの気持ちの良い夕方に散歩をしていた「私」が突然感じるなんだか得体の知れない恐怖を書いた次のような描写には驚かされた。

 

行く手の路の真中に残されている浅い楕円形の水溜まりにオレンジ色の夕焼けがくっきりと映っているのが眼に入った。それは冷えて沈んだ空気のなかでひときわ美しく見えた。そして私が近寄ってその金色に燿く水面を覗きこんだ瞬間、私は急に怯えて思わず足を引いた。それは、正体が解っていても、思わず顚落して行きそうな奈落の底の別の世界として、立体的な明瞭な輪廓と色で私を脅かしたのであった。私は自分が無限の空虚の深みの端に立っているという馬鹿気た錯覚からのがれることはできなかった。その二センチの深さもない平たい水溜まりを踏んで進む勇気がないということは、実に滑稽以下であった。しかしやはり私は道の端を伝わってそこを通り過ぎ、家に向かって歩いていったのであった。(86)

 

続く部分は更にぎょっとする。

 

人間の一生と云っても、無機的に考えれば巻き返しの効かないゼンマイ時計と同じで、捩子を巻きすぎて途中で切れるか、そのままだらだらとバネが弛んで止まるかの相違があるだけにちがいない。もちろんそういう気がするだけだ。「それまで」と或るものが或る日いうまで凝っとしているのである。(中略)実際を云えば生まれる前はもちろん人間でも自分でもないし、死んだのちは生以前とおなじ永遠の無であるから、この何十年かの生は一個の人間にとっては前後をぶち切られた仮象である。無という概念でさえ人工産物で、永世への慾望の裏返しのような気もする。(87-88)

 

はたして「或るもの」とはいったいなんだろう。この水溜まりの話が公園の雀たちの可愛い描写のあとに語られることもよくわからない。私は『虚懐』を四、五回は読んだが、いまだによくわからない。わからないからこそ何度も読む。今回改めて読み返して、手がかりになるかもしれないと思ったのは、やはり漱石の漢詩である。冒頭で引用しなかった後半の四行を引用する。

 

依稀暮色月離草

錯落秋聲風在林

眼耳雙忘身亦失

空中獨唱白雲吟

 

 

 注目したいのは上の引用の一、二行目。「依稀」というのはぼんやりとし、はっきりしない様子。「錯落」というのは、いりまじる様子。ぼんやりとした夕暮れ時に、草を離れて月が登り、様々なものがいりまじった秋風の音が林を抜けていく。古井由吉は、草原が墓地を連想させる言葉であること、そして秋聲が中国宋の時代の文人、欧陽脩の「秋聲賦」という作品に関係があることを指摘し、それがただの声ではなく恨み悲しみ後悔の声が入り混じった声だという。そこには死者の声も入り混じっているだろう。漱石はおそらく草原に墓場を重ね見、秋風に死者の声を聞き取った。まさしく虚懐である。この漢詩が書かれた二日後、漱石はこの世を去る。凄まじい。

 

 そして、この二行は水溜まりの話と絶妙に重なるように思える。秋の夕方(引用した漢詩と同じ時間帯だ)、水溜まりに奈落の底を見、「或るもの」の声を想像する藤枝は、死を目前にした漱石の姿と重なる。彼らは死を眼前に据え、虚懐を抱き、事物を感じ取る。『虚懐』は藤枝なりの「白雲吟」だった。そこには人も動物も生き物も死に物も、声となって入り混じった風が吹いている。

 

青森の山を歩く人へ【評=中村絵美】

山田耕一郎『青森県山岳風土記』(北の街社、1979)

 

 旅に出た先で本屋に立ち寄れば「郷土本コーナー」があって、地元出版社や地元作家に関連する著作が並べられていたりする。多くの本好き、あるいは郷土誌好きがそうであるように、私もそうした本棚を眺めるのが好きだ。でも、そんな余裕のある旅って大人になるとなかなか難しいものだ。日本では地方書店が次々閉店しているというからなおさらかもしれない。最近、私は旅先の地名を思い返しつつ国立国会図書館デジタルコレクション(NDL)で検索するようになった。NDLには、目次まで検索できるようにした登録図書が増えていて、ちょっとマイナーな地名で検索しても何らかの書籍はヒットする。書店にはもう並ぶことのない古い郷土本を探す強力なツールとして使えるのだ。

 

 『青森県山岳風土記』は、そんなNDLの電子図書の海の中から見つけた。歴史の本かと思ったら優れたネイチャーエッセイだったので驚いた。風土記とあるように、山についての自然科学的な知識だけでなく、関連する歴史や文化的な情報を引き合いに出しながら記述していくというスタイルで書かれている。さらに、面白くもあり、驚くべきことは、著者の自然科学の知見のほとんどは、青森県内の山々を実際に歩いて得た知識だということだ。

 

 本文中ではあまり詳しく触れられていないが、奥付の著者経歴を見ると、著者は青森県営林局職員として天然林調査、土壌調査などに携わった方らしい。植生や地形の変化に対する鋭敏な感覚はそうした業務で養われたものだろう。たとえば高地に登り切った時の樹木や草木の種名の記述は非常に丁寧に的確になされていて、まだ訪れたことがない場所でも、文章を読むと景観をいくらか想像できるような気がしてくる。植生や地形の情報は、たとえばこの著者が関わった調査報告文などの行政文書でも読み取れるのかもしれないが、ヒバ(ヒノキアスナロ)の造林に対しての記述を読むと、著者が客観的記述を強く打ち出すことなく、あくまでも主観的に、自然の描写を優先したエッセイをまとめた理由が分かるだろう。この人は山や草木のことが好きなのだ。

 

 最初の登り勾配はかなり急である。しかし、これ以上のものはないといえる津軽のヒバ美林の間を縫う道だから、その美しさを堪能しながらゆっくり登れば楽しみも増そうというものである。

 

 ヒバは老いるとかなり上の方まで下枝を落とし、足元に光を入れて、そこに子供を育てる空間を作る。二、三本ずつの幼木の集合が更にいくつか集ってサークルを形成し、次第に力を付けていく頃になると、親木は使命を果たして人間の文化のために役立つことになる。人と植物の関わり合いは、本来このようにあるべきものだろう。親木が子供の養育をしっかりやり遂げないうちに、人間の一方的な都合だけで親木を皆伐り倒してしまうような勝手は、絶対に避けるべき事態である。(「北海道の山なみが見える 鋸岳」:50-51)

 

 冒頭1章目となる「ふるさとのヒバが生えている 燧岳(ひうちだけ)」には、地図上の山の標高数の記載数値の変遷を巡ってのくだりで、次のような記述がある。

 

 かつて、下北半島全体が要塞化していた時代には、半島全山の実際の海抜高が明示されてはいなかったという。未開の地、下北の秘められた事実が、ここにもあるような気がする。(9)

 

 「あとがき」では、著者は山歩きをレジャーとしてではなく、「ある秩序をもって進行している自然の掟や生い立ち、物語、そして山とそこに住む人々のドラマを感じながらの山歩き」だと表現し、本書を「一つの記録」と位置付けている。そして、次に同じ山を登る人があれば山の景観を本書と比較してほしい、何か変化に気付くことがあれば、それが「新しい自然の掟の発見の糸口」になるかもしれない、と述べる。(204)

 

 いずれも鋭い視点だろう。著者の記述には地元の方々の道案内の描写が頻出するので、当時の情報の少なさが推察される。いまも青森の山や自然に関する情報は、本州の他の場所に比べて少ないと思うが、その時より格段に地図も道も整備され、誰でも歩ける山が増えた。しかし本書は決して古びることなく、これからも青森の山を歩く人にとっての貴重な参照点になることだろう。