Coyote Reading

明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

風を眺める【評=中野行準】

福島あずさ著、nakaban絵『窓から見える世界の風』(創元社、2018年)

 

 風の城に住んでいる。ぶぉーっぶぉーっと大きな風が吹き、空気のかたまりが身体を押しつけてくる。踏ん張っていないと吹き飛ばされてしまいそう。こんな強風でも横をオートバイがぶんぶんと通り過ぎていく。

 

 台湾の北西部にある新竹は風城の異名で知られる。暑さが少し和らぎはじめ、夜には涼しい日も増えてくる10月下旬(農暦の9月下旬)、ここには九降風という強い風が吹く。新竹は東、南、北の三方が山や丘陵に囲まれ、北西側が台湾海峡に大きく開かれた喇叭型の平地であるため、秋冬の東北モンスーンは海峡を勢いを増しながら通過し、喇叭の内側に吹き込んでくる。風速20メートルに達することもあり、これでは大の大人もまともに立っていられない。この強風を利用してつくられるのが特産品のビーフンや干し柿で、安くてうまい。海岸の港、南寮で行われる凧揚げ祭りも有名だ。九降風は新竹の文化を生み出している。

 

 風城に住み始めてから、世界の風に興味を持って手に取ったのがこの本。世界各地の風が、nakabanのどこかノスタルジアを感じさせる絵とともに紹介されている。たとえばインド北西部で乾季の終わりに起こるカリ・アンディ(Kali Andhi)。乾いた大地に潤いをもたらすモンスーンも度を越せば地上の塵を舞い上げ天を染め上げる「黒い嵐」へと変貌する。北に目を転じれば、フェロー諸島に吹くオエ(Oe)という不思議な名前の風に心惹かれる。小島の連なりから成る入り組んだ地形を縫うように吹く強烈な風はヴァイキングが活躍した舞台をいまも揺らす。


 風の名前に込められた意味もおもしろい。猫の歩みのようなさざ波を起こすCat's Paw、疫病を吹き飛ばすCape Doctor、奴隷貿易の苦難がその名前に刻まれたChocolate North、春の訪れを告げるのは、おなじみの春一番。

 

 吹き荒れる風を夢想するのは楽しいが、実際に強風のなかを歩くのはかなり危険。本書が「窓から見える」と名付けられ、挿画のすべてが窓越しの風景であることにも納得がいく。ふと、風景という言葉の不思議を思う。風は、見えない。見えるのは風に吹かれる事物だけ。昔の人は、地形と気候が生み出す風を景観の構成要素として強く意識していたのかもしれない。そんなことをぼんやり考えながら、九降風が窓をがたがたと揺らす新竹の小さいアパートで本という窓越しに世界の風を眺めている。

 

本を読まない人のための『図書館詩集』【評=佐藤文香】

管啓次郎『図書館詩集』(書肆リヴェルリ、2026)

 

 食べることとしゃべること、運動と動物が好きな私にとって、図書館はできる限り入りたくない場所だった。自分の好きなことが何一つ許されない空間で、苦手な読書をやらなければならない。一刻も早く抜け出すために必要な本を借りて帰って、結局読まずに返すことになる罪悪感も、図書館から足を遠のかせた。大人になった今でも、図書館に行くためには体調のいい日を選ばなければならない。


 実は、詩集も苦手だ。最初から最後まで読めた詩集は数えるほどしかない。わかったような、わからないような気分になって、数篇で投げ出してしまう。あるいは、すごくいい!と思って満足して、数篇で閉じてしまう。そもそも家で座って本を読むという習慣がない上、外に出るときに重い本は持って出たくない。

 

 そんな私に、『図書館詩集』である。図書館×詩集、苦手なもの同士。だが、私は中学校で数学を習っているので、マイナス×マイナスはプラスになる、と知っている。その理屈によれば、この本は、なんかいける気がした。軽々としたデザインなのもよかった。

 

 本を手に取ったら、まずあとがきを見てしまうタイプだ。『図書館詩集』には巻末に日本地図があった。ナイス。本は読まないが、地図は毎日見るんです。どうも、作者は各地の図書館に行って詩を書いたということらしく、北海道から沖縄まで12箇所の印があり、図書館の名前が記されていた。たまたま鹿児島市内に滞在していたので、鹿児島市立天文館図書館に行くことにした。


 天文館図書館は街のど真ん中、センテラス天文館という商業施設の4、5階にある。ランチの場所を探すとき、建物を上までのぼっていったら図書館だったことがあった。それだ。明るくて子供もいて、カフェもあって、(読書ガチ勢の方はどうお思いになるかわからないが)私のような人間にとっては緊張せずに入れてありがたい。

 

 『図書館詩集』のどの詩が鹿児島の詩かと調べようとしたところ、目次もタイトルもない。ぱらぱらとめくっていたら「桜島」や「薩摩」という文字列があったので、その詩のラストを見たら「鹿児島市立天文館図書館、二〇二三年三月七日(火)、晴れ、噴煙あり」とあった。この「6」で始まる詩でよさそうだ。あ、でももしかすると、全部がひとつの詩で、その「6」の部分、なのかもしれない。


 ほかのところで書かれたものも末尾を確認したら、すべて天気が書いてあった。たいへん好ましい。図書館に入ったら天気は関係ないと思う人もいるかもしれないが、図書館に行くためにはかならず外に出るし、図書館への光や湿度で、気分は変わる。なお、「噴煙あり」があるのはここだけで、スペシャル感があった。本日は噴煙少々。

 

きみときみの命が別離を決意したとき
そのとき初めてその行為を実現してよ

 

「6」より。一人旅中の初老の大男が出てくる。上記2行は「なんでも手でふれてみたいんだ」、「あの火口のようにエグゾティックな場所にでも/ためらうことなく入っていくさ」というその人に、「ぼく」が述べた意見。初対面の相手へのコメントにしては、心のこもったダイナミックな言葉だと思う。

 

 ダイナミックといえば、詩のなかで景色や扱う内容がどんどん変わってゆくのが、ランニングしているときのようで面白い。一行ずつに足取りがあり、詩がからだとなって進んでゆく。

 

火山の一呼吸のあいだに
人は何十世代を魚のように生きるのか
安永の大噴火では井戸が沸騰し
海水は紫色に染まったそうです

 

魚のように生きること、井戸の沸騰、紫色の海水。桜島を見ながら走っているだけの私には、思いもよらない言葉だ。実際に見た人よりも景色に深く潜ることができるのは、「知」との接続があるからだろう。図書館は、過去にも未来にも、近くにも遠くにも連れて行ってくれる。そうかー、悔しいな。いくら脚に自信があると言っても、安永の世までは走っていけない。

 

 でも、図書館までなら走っていける。


 『図書館詩集』は、リュックに入れて走れます。

 

逃走する図書館【評=今村裕美】

管啓次郎『図書館詩集』(書肆リヴェルリ、2026)

 

 旅のはじまりは、図書館。『図書館詩集』は、図書館についての詩集ではなく、管啓次郎が12か所の公共図書館を訪れ、その土地を感じ、さまざまな本をひらき、図書館に滞在し、図書館とともに書き連ねた詩の集まりだ。そこは、土地に暮らす人だけでなく、旅人にも、迷い人にも、もしかしたら犬にだって開かれた「気前のいい場所」。そんな場に吸い寄せられるようにあらゆる物語が集まってくる。確立された知識も、周縁においやられた言葉も、ときには怪しい怪談話も。図書館はそれらを保存する場所であると同時に、言葉が新たなつながりを生み、思いがけないところへ連れ出してくれる場所でもある。図書館を図書館にとじないことが、表紙の地図に秘められた約束ごとなのかもしれない。


 そう、表紙には地図が描かれている。日本のどこかだろうか。あるいは、どこでもないどこか。ページをめくると、こんどはアメリカ大陸の地図が現れる。けれども目次はない。いま自分がどこにいるのか、この先どこへ向かい、どこにたどり着くのか、読者はあらかじめ知らされてはいない。地図はどこからだって読みはじめられるし、どこでやめてもいいのだから。この詩集だって、まさにそうだろう。

 

 最初の詩は、1609年のニューヨーク州ハドソン川沿いのコーンウォールから1958年の愛媛県野村町に流れてゆく。積層する時間から逃れ、川に流されるように読み進めると、この詩が2022年10月2日に「那須塩原市図書館みるる」で書かれたことがわかる。目のまえのものが自在に姿を変えるからといって、思考が放棄されるわけではない。「そう、「考える」ということを中心にしなくては/ほんの少しも世界には近づくことができない」(139)。思考を可能にするのは文字。「立ち止まり、考えることは文字の効果」であり、そんな沈黙の文字とともに考える旅に連れ出してくれるのは、詩のなかに溢れるユーモアなのかもしれない。ヘンテコな名前をもつ幻の存在たちは、しずかな文字列でありながら饒舌だ。宗谷で生まれた「宗谷トム」、猪熊美術館から生まれた「猪鹿熊ゲンイチロ」、百道でニンゲンになった「サザエさん」。かれらは、ニンゲンの思考の枠から漏れ出して、言葉遊びのように、人間から動物へ、動物から山へと、どんどん変幻してゆく。しかも、その逸れ方には、人間が世界を名づけ、分類し、支配しているという秩序を、少しばかりおかしなものにしてしまう力がある。もしもユーモアなんて持ち合わせていませんという読者がいても、その程度の誤差は許されるだろう。「世界を編みなすいろいろなかたちの生命が/少しずつ誤訳がつけいるとでもいうように/少しずつかたちを変えてきた」(97)のだから。私たちが作者の意図からはずれた解釈をしたときに、そのズレを新たな世界への逸脱の機会にかえてみよう。自分の意志で世界を把握することから、何かに動かされ、何かに語らされることへ。そのとき解放されるのは世界だけでなく、世界を理解し管理しようとした自分自身でもあるのかもしれない。

 

 詩が「歩こう」と呼びかけてくる。世界を外から眺め、把握するためではなく、土地の広がりを身体をもって体験し、記憶するために。その歩みを追うように詩を読みすすめていると、突然「きみ」と呼びかけられ、自分の存在が明るみに出たように感じて、どきっとする。詩の言葉に動かされ、自分という輪郭もあやふやなまま、その世界に溶け込んでいたからだろう。そこからふたたび自分の声へと立ち戻り、唱えてみる。「以上、きみはそれを三度でいいから/声に出してくりかえしてください」(157)。たとえば、ここに書かれたアイヌの言葉を、たとえ意味がわからなくとも、声に出して読んでみる。そして、この詩集をたずさえて、歩いてみたいと思う。言葉によって浮かびあがる世界に、身体を通して触れ直すために。「そして空想の土地と現実の場所を/空想の過去と現実の未来を/つなげてゆこうと思うなら/ただちに歩いていこう」(163)「[……] 土地のひろがりを/そのままに体験したい/記憶し/地形図よりも楽譜よりも精密に/記録したい/そのために歩きたい/天然の測量士のように」(7)。

 

「森の人」が「狼の人」を読む【評=鴻巣友季子】

群れとリゾーム

 ジル・ドゥルーズはイギリスのモダニズム作家ヴァージニア・ウルフにいたく惹かれた。これは、なぜだろう?


 夢想するに、名前からしてWoolfに惹かれたに違いない。これは彼女の結婚後の姓だが、当然ながらwolfの異綴である。古英語ではwulfと綴り、中英語以降は綴りが定まらず、Wolf, Wolfe, Woolf, Wulfeなどと変化してきた。狼はその名においても形を変えながら群れている。もうこの時点で、じつにドゥルーズ好みではないか。


 一方、Deleuzeという姓の由来も気になってくる。調べてみると、Euzeはフランス南部オック地方の言葉でholm oakを指すという説が見つかった。De l’euzeと分解すれば、「その樫の木の場所から」といった意味になり、さしあたり「樫の森の住人」ということになるだろうか。


 これは領土的な語源に見えるが、ここからドゥルーズはリゾーム(地下茎)を巡らせて逃走線を描き、自らの名前をも脱領土化したのだと思うと、痛快だ。ちなみに、日本にはholm oakに近い樹木に姥目樫(うばめがし)という木がある。海辺の痩せた土地や強風にも耐え、木でありながら「森の雑草」の異名をとると言う。雑草とはfiller(埋め草)であり、つなぐものであり、リゾーム的である。


 そう、ドゥルーズの『千のプラトー』から引けば、「樹木は動詞『である(エートル)』を押しつけるが、リゾームは接続詞『と……と……と……』を生地としている。この接続詞には動詞『である(エートル)』をゆさぶり根こそぎにする十分な力がある」(2010-2011、上巻p60)ということになる。これはあまりにウルフ的である。


 ウルフの小説のなにがドゥルーズに訴えたのか。それを知るために、「狼の人」の小説を「森の人」が読んだように読んでみよう。

*以下の表記や訳文引用は邦訳『灯台へ』(ウルフ、2024)に基づく。

 

灯台へつづく時間

 To the Lighthouseはスコットランド沖スカイ島の別荘を舞台とし、そこに暮らす哲学者一家の夏の一日、正確には昼すぎから夜までが描かれる。その後、大きな時間の経過があり、最後に、十年後のある日の朝から午頃までが語られる。狭い時空間を移動する「ほとんどどこにも行かない小説」でありながら、主人公の一人のラムジー夫人が編み目に針をひらりとくぐらせるその一瞬――the momentはeternalでもある――にも、内在平面には膨大な生成変化が起きている。


 時間軸は不意にシフトし、テクストのはざまに時空間を超えた世界が出現する。回顧があり、空想があり、願望があり、後悔があり、内と外、過去と現在と未来は継ぎ目も移行部もなしに繋がってゆく。ときにはスコットランドの海を前にコンスタンチノープルの古都が拡がり、木の枝には幻のテーブル(phantom table)が引っかかり、昔の哲学者が目の前を歩き、十年の歳月は一日(いちじつ)のなかに凝縮され、アイオーンの時間が出現する。


 そのテクストの折々には、「感性の歯車がわずかに回るたびに、その影や光の射す一瞬を結晶のようにしてとってお」く(p9)というような、ドゥルーズのévénementにおける――スコラ哲学者スコトゥスに由来する――haecceity(此性)を鮮やかに具現化する場面がしばしば現れる。

 

明るいながらも狭い部屋

 ウルフの『灯台へ』を含む諸作品はstream of consciousnessの技法を駆使した「意識の流れ文学」として名高いものの、この類別には注意が必要である。例えば、この手法で知られるウルフの同時代作家にジェイムズ・ジョイスがいるが、ジョイスのそれが樹木のように一人の人間の意識を枝葉末節まで辿っていくものだとすると、ウルフのそれは圧倒的に地下茎的である。この二人の作家の「意識の流れ」に違いがあることは認識していたが、ドゥルーズを読むことでこのように言語化されたのは、自分にとって大きな収穫だった。


 話法で言えば、ジョイスはA Portrait of the Young Artist as a Young Manで自由間接話法を完成させた後、代表作Ulyssessでは自由直接話法を多用するが、ウルフの文章のベースは自由間接話法にあり、To the Lighthouseでも内的独白はさほど多くない。


 またそれ以上に違うのが視点のとりかたである。ジョイスは固定的であり、ウルフは流動的、遊動的と言えるだろう。後者は三人称複合多元視点文体で、様々な人物視点の間、発話と内心の声、現実と夢想の間をシームレスに行き来し、個人という制約を超えていく。そのなかで人びとは植物に生成したり、椅子に生成したり、「闇の中の楔」に生成したりする。


 ウルフのこうしたスタイルを映画研究者・文学者のジェイムズ・ネアモアは、a variety of stream-of-consciousness fiction(意識の流れ文学の一変種)と評している。ウルフは一人物の内的独白(自由直接話法)が長く続く手法はとっておらず、stream of consciousnessという用語は条件つきで使うべきだと言うのだ。ドゥルーズもこの区別には賛成するのではないだろうか。


 では、ウルフは年下の作家ジョイスの文体をどのように捉えていたのだろうか。批評的エッセイ“Modern Fiction”(1925、The Common Reader収録)にUlyssessを論評する一節があるので引用する。

 

 心に降りくる原子は降り積む順序のまま記録しよう。光景ひとつ、出来事ひとつが意識に刻みつけるパターンが、いかに繋がりやまとまりを欠いたものであっても、それをただ辿るようにしよう。世の中で重大とされるものには些細とされるものより当然意味があるなどと思わないようにしよう。(鴻巣試訳)

 

 このあたりだけを読んで、Ulyssessへの賞賛ととられることがあるが、まだ先がある。続けて引用する。

 

 (ジョイス流の「意識の流れ文体」をとることで)のびのびと自由になったというより、明るいながらも狭い部屋に閉じこめられている感じがする、それは心の問題のみならず手法によって生じる制限のせいである。そのようにも言えはしないか。(同訳)

 

 ウルフとジョイスには、どんなアプローチの違いがあったのか。ウルフのそれは、前述した“Modern Fiction”の以下の文章からも推し量ることができる。彼女の小説観が浮彫りにされ、此性(haecceity)が生成する瞬間について鮮やかに論じているくだりだ。

 

 内面を見よ。そうすれば、人生とは「このようなもの」とはとても思えなくなるだろう。あるありふれた日、ありふれた人の心をしばし観察してみよ。その心は周りのものごとから無数の印象を受けるであろう――それは些細で、幻のごとき、儚いものであるかもしれず、あるいは鋼の鋭さで刻みこまれるものかもしれない。無数の原子が絶え間なく降りそそぐように、印象は四方八方から到来する。そうして印象が降りきて、例えば、月曜なり火曜なりの暮らしという形をとっていくうちに、以前と違うところにアクセントがつく。大切な瞬間はあっちではなくこっちになる。そうであれば、書き手が奴隷ではなく自由な人間であるなら、「書くべきこと」ではなく「自ら選んだこと」を書き、約束事にとらわれず己が感じるものを作品の土台にできる人なら、型どおりのプロットや悲劇喜劇、恋愛沙汰、大詰め場面などが顔を出すことはなくなるはずである。釦ひとつにしても、ボンド・ストリートの仕立屋が縫いつけるのとは違ったやり方をするだろう。人生とは対照形に配置された馬車のランプではない。人生とは耀く暈輪(halo)であり、意識の始まりから終わりまでわれわれを取り巻く半透明の包被(envelope)なのだ。この絶えず移り変わる、この未だ知られざる、輪郭の定かでない精髄(spirit)を――それがどんな逸脱や複雑さを見せようと――内面を離れた外面的なことを極力交えずに伝えることこそ、小説家の仕事ではないか?(同訳)

 

 ドゥルーズが『千のプラトー』などで用いたlatitude(緯度)とlongitude(経度)という概念も、すでにして明瞭にかつ詩的に表現されていると思う(ドゥルーズを読んでからこのくだりを再読すると、ウルフのほうがドゥルーズを借用しているようなplagiarism by anticipation(先取りの剽窃)の感覚が起きる)。


 前出のネアモアはさらに、「stream of consciousnessとは、『私』の、個人の、心理に係わるものだとして大方の定義は一致していたが、個人の中にどっぷり浸かることは、Woolfの究極の関心事でもゴールでもなかった」と指摘している。WoolfのJoyceへの異議は「個人のエゴに溺れている」という点にあったのだと。Deleuze的に言い換えるなら、固定化した主体に囚われてアジャンスマンが閉じ、他者との接続が新たな生成を生まない状態ということではないか。

 

「途中から始める」こと

 また、ドゥルーズはリゾームについて、『千のプラトー』でこうも言っている。「リゾームには始まりも終点もない。いつも中間、もののあいだ、存在のあいだ、間奏曲なのだ」(上巻p60)と。


 ウルフの小説はTo the Lighthouseを含め、多くがイン・メディアス・レスの手法で書かれている。これはホラティウスが『詩論』で定義した、「途中から・間から始める」という物語の構成技法である。絶対的な起源というものはなく、私たちはつねに生成の只中にいるとするドゥルーズと当然ながら共鳴するところが多々あるだろう。


 エコクリティシズムの研究者・結城正美の編著『モア・ザン・ヒューマンの物語 環境人文学10のシークエンス』(結城、2025)を読むなかで、まさにイン・メディアス・レスの技法をreciprocity(互恵性)の表出と捉えるセオリーと出会ったのは幸運な偶然だった。ロビン・ウォール・キマラーの『植物と叡智の守り人』は、創造の物語を創造主の行いではなく、「スカイウーマン」という「移民」の女性が植物の種子を握って空から降ってくる場面から始めている。ノンヒューマン(地球外の植物)とヒューマンによるreciprocityがこの陸地の始まりとするキマラ-の語りは、「人間中心主義を脱臼させ、異なるものたちの協働に光を当てる」(p226)ものだと結城は結論づけている。


 ウルフが上の世代にあたるエドワード朝作家、H・G・ウェルズ、アーノルド・ベネット、ジョン・ゴルズワージーらに激越な訣別を告げたのも自然な成り行きだったろう。ウルフにとって、ベネットらは人物の服装や所有物や属性のことばかり書いている人間中心主義者であり、マテリアリストに他ならなかった。「こんなことなら、英国小説はなるべく早いうちに彼らから丁重に背を向けて歩んでいったほうが(その先、砂漠に踏み入ることになろうとも)小説の魂にとってはよいであろう、という気持ちになってしまう」(Woolf, 1925)と記した二十世紀初頭のイギリス作家に、ドゥルーズが快哉を叫んだ理由が、いたって深く納得されるのである。

 

Works Cited

Auerbach, Erich. Mimesis. Translated by Willard R. Trask, Princeton University Press, 1953.
Naremore, James. The World Without a Self: Virginia Woolf and the Novel. Yale University Press, 1973.
Woolf, Virginia. Modern Fiction. The Common Reader, Hogarth Press, 1925, pp. 146–154.
Woolf, Virginia. To the Lighthouse. Hogarth Press, 1927.
Woolf, Virginia. The Waves. Hogarth Press, 1931.
ドゥルーズ,ジル.『記号と事件――1972–1990年の対話』宮林寛訳,河出書房新社,河出文庫,2024年.
ドゥルーズ,ジル,フェリックス・ガタリ.『千のプラトー――資本主義と分裂症』上・中・下,宇野邦一ほか訳,河出書房新社,河出文庫,2010–2011年.
ドゥルーズ,ジル,クレール・パルネ.『ディアローグ』鈴木創士訳,河出書房新社,河出文庫,2011年.
ウルフ,ヴァージニア.『灯台へ』鴻巣友季子訳,新潮社,新潮文庫,2024年.
アウエルバッハ,エーリッヒ.『ミメーシス――ヨーロッパ文学における現実描写』篠田一士・川村二郎訳,筑摩書房,ちくま学芸文庫,1994年.
結城正美編著.『モア・ザン・ヒューマン――マルチスピーシーズ人文学と環境倫理』人文書院,2023年.

 

そこに灯りはあるし、なければならない【評=林真】

西見奈子『フロイトの灯——現代精神分析入門』(筑摩書房、2026)

 

 フロイトの理論がフロイト以後の世界におよぼしている影響の大きさは現在、過小評価されている(というか、危うい形で忘れ去られつつある)のではないかと、つねづね私は思っている。たとえば私たちが「無意識」とか「マザコン」とか「葛藤」とかの言葉を使うとき、語法がフロイトの概念に正確に合致するかどうかはともかくとして、それらの言葉は必ずフロイトを経由している。フロイトの理論に対する適切な批判はこれまでたくさんなされているが、だからといってフロイトを無視したまま現在の世界について考えることは、不可能とさえいってよいのではないか。だからこそ、フロイトとどう付き合うかという手引きは必要だ。そして本書『フロイトの灯』は、心強い手引きの書のひとつとなってくれる。

 

 著者の西見奈子は自身も精神分析家で、精神分析の歴史を、その創始者フロイトの足取りを一歩ずつ確かめるような語りで描き出してみせる。西が特に重要視するのが、フロイトによる「誘惑理論の放棄」だ。「誘惑理論」とは、「乳幼児期に大人から受けた性的誘惑がヒステリーの原因だと考えた学説のこと」(102)。だがフロイトはこの考えを「1年も経たないうちに」放棄してしまった。その放棄が、エディプス・コンプレックス他の重要な概念の形成に結びついたともいえるものの、同時にそれは「たとえフロイトがその点を強調しなかったとしても、事実としての被害の否認や矮小化につながり、被害者の抱く願望や欲求、空想に原因を求める視点を生む」(113)ために、現在まで激しい批判にさらされている。西もまた、そうした批判を当然のこととし、女性患者ドラへの分析の例に見られるようなフロイトの明らかな瑕疵をも指摘する。だが同時に西は、「エディプス・コンプレックス」以降のフロイトの考えが、メラニー・クラインをはじめとした批判的継承者たちに受け継がれ、新たな「光」となったことについても熟考し、その思索の軌跡を読者に提示する。そうした思索は当然ながら簡単に割り切れるようなものではない。これは結局どういうことなのだろうとわからなくなる場面も、いくつかあった。だが、精神分析における「フロイトとの一致と、フロイトとの相違」(8)を静かに探究してゆく著者の語りは、読んでいて不思議と心地いい。

 

 最終章の第5章「精神分析とケア」で著者は、癌を患ったフロイトが、同じく精神分析家で娘のアンナ・フロイトから献身的な介護を受けていたことを語る。アンナ以外にも、妻のマルタや義妹のミンナ、家政婦のパウラ、そして他にも多くの女性たちが、フロイトの生活と仕事を支えていた。「精神分析を作ったのはフロイトである。そのフロイトは彼女たちのケアに支えられていた。フロイトの灯りをともしていたのは彼女たちだった」(244)と著者は指摘する。こうした指摘は現在では、ある意味で常識的なものに映るかもしれない。しかし本書は私たちに、この「灯り」についてさらに考えることを促す。私たちはいつだって、照らしている側だけを見てしまいがちだ。いまも、すぐにアンナ・フロイトの「主体の回復」に目を向けて、アンナ頑張れと思ってしまう。だが著者は、「むしろ私がここで問いたいのは、そのようにケアを提供する側に改善を求めてきたことそのものに対する問題提起である」(240)と断言する。すなわち、ここで真に問題になっているのは、誰が誰に灯りをともしているのかといった、光を前提とする問いではなく、照らされている者にとって灯りをともしているのは誰かという、光を探求するための問いに他ならない。ジークムント・フロイトにとって、彼を照らすのは誰か? アンナ・フロイトにとって、彼女を照らすのは誰か? これを書いている私にとって、私を照らすのは誰か? このように<主体>に関する問いのあり方そのものを刷新してくれるところに、精神分析が私たちに授けてくれる重要な教えのひとつがあるのだろうと思わせられる。さて、「フロイトの灯」は、誰にとっての、誰からの、どんな灯りだろう?

 

平凡が非凡へ変わるその前に【評=大洞敦史】

阮義忠『人と土地 台湾1974-1986』(栖来ひかり訳、みすず書房、2026)

 

 十名ほどの子供たちと青年が見つめるなか、一人の子供が宙返りをしている。裸足で、ごつごつとしたたくましい背中をこちらに向けて。「台湾 1974―1986」という副題の下に配されたこの表紙写真は、初めてこの本を手に取った大方の人が想像するであろう、平和で牧歌的な情景を映したものではない。撮影地は台湾の南端にほど近い、太平洋に臨む旭海という土地だ。

 

「この小さな村では、数地帯の家がすべて秘匿された軍事基地の用地の中に囲われ、立ち退きを迫られようとしていた。〔中略〕身につけていた装備をすべて提出すれば通行を許すと言われ、荷物検査を受けていたそのときである。危険を冒してでもフィルムに収めようと決意させたこの一幕が、地平線の上に現れた」(前書き)

 

 独裁政権により1949年から87年まで施行されていた戒厳令下、台湾の人々は、エリートも一般市民もひどく窮屈な暮らしを強いられていた。「この小さな村」の八方塞がりの環境は、その縮約とも云えるだろう。この子供たちは、誰がいちばん多く宙返りができるかを競い合っているところで、撮影者の阮義忠はそんな彼らのうちに、人生をひっくり返そうとしてあがく意識を読み取った。

 

 阮義忠は1950年、旭海と同じく太平洋に面する町・宜蘭県頭城に生まれ、台湾の土地と人々を撮り続けてきた人だ。本書は農山村や漁村の人々をとらえた珠玉の写真85点と、それぞれについての解説を兼ねたエッセイが「成長」「労働」「信仰」「帰郷」の四章に分けて収められている。


 エッセイは当時の社会に関する知識に加え、一枚の写真について推理力を働かせながら分析することの面白さをも教えてくれる。たとえば稲わらを山と積んだ運搬車に老夫婦と小さな子供が乗っている写真について、次のように書かれる。

 

「今季は豊作で、農家はよい冬を迎えられそうだということ。そして、息子夫婦は他所に出稼ぎに出ていて、祖父母が孫を育てているらしいこと。背筋を伸ばして座っている孫の様子からは、祖父母の行き届いた教育が見て取れる」(159)

 

 そこで私はこの本を、良質な「読解問題集」として読み進めた。まず写真を見つめ、そのシチュエーション、社会的背景、阮氏が伝えんとしているものなどを想像し、それから答え合わせとしてエッセイを読むという流れで。

 

 何よりも激しく心を揺さぶられた一枚は、台東の沖合いに浮かぶ蘭嶼で1982年に撮影されたものだ。ほっかむりをした頭に大きな荷袋を載せた老女が、まっすぐにこちらを睨んでいる。撮影同年、原住民族タオ族の人々が伝統的な暮らしを営んできたこの島に、住民の意思を無視して核廃棄物貯蔵場が建設された。

 

「濃い疲労の色が浮かぶ女性の背中に、荷物が重くのしかかっている。それはまるで、今のタオ族の境遇そのもののように思えた。〔中略〕レンズのむこうで厳しい表情を湛えた女性は、わたしを一瞥するとすぐに目を逸らした。外部からのあらゆる侵入に強い抗議を示すかのように」(173)

 

 本書には、半世紀前に台湾の人々が送っていた生活と感情が、圧倒的なリアリズムをもって記録されている。その根底をなしているのは、阮氏の写真観だ。人は往々にして非日常的なものを目に見た時にカメラをかまえるものだが、阮氏は云う。

 

「わたしにとってカメラは宝探しの道具ではない。レンズは目であり、シャッターは筆、フィルムはスケッチブック。そうしてそこに写し出されるのは、わたし自身の人生の経験である」(42)

 

 とすれば写真を見るということは、一種のタイムマシーンに乗って、撮影者の人生を追体験することだとも云える。そして阮氏がとらえてきた当時の日常には、今やどこを探しても出会えない。どんな平凡も、やがて非凡へと変わっていく。

 

 個人も社会も、がむしゃらに疾走し続けることを余儀なくされている。時として何か大事なものを落としてしまうことに気づく暇もなく。それをふと思い出させてくれるのは、かつて何の変哲もないものだった一枚の写真かもしれない。

 

まんがだけが救い出す歴史にふれる必要【評=管啓次郎】

水木しげる『敗走記』(講談社文庫 、2010)

 

 水木しげる先生の戦記物はほんとうに貴重だと思う。作者本人の体験あり、彼が人に聞いた話あり、いずれにせよ手応えがあり、たしかにあった極限状況を淡々とした語りで教えてくれる。どれほど苛烈で残酷な場面も、けっして塗りつぶされたような救いのなさに陥らないのが、作者ならではの根源的ユーモアの力だ。

 

 ではそのユーモアとはなんなのか。笑いとはいえない。いつ断ち切られてもおかしくない蜘蛛の糸のようにはかない人間の命を、それを翻弄する理不尽きわまりない状況の中でも、けっして絶望に陥ることなく描く。その「描く力」そのものがユーモアなのだ。

 

 それは人生の肯定。いや人間の生などはるかに超えた、生命の肯定。戦地の全面的な自然に激しくゆさぶられながらも、その場の人間の地獄とはまるで別の世界をつねに想像し、砲弾が炸裂するあいだにも一瞬の静寂のうちに虫の声に聞き入るような存在としての人間を、まさにそんな静寂の側に救い出そうとしているのが彼の漫画で、漫画は定義上絵で描かれていて無音だ。それが救いだ。

 

 南洋戦線で「原住民」と直接接触し交渉し、ときには「カンデレ」という深い関係(親族・同胞扱い)をむすんだ日本軍の末端の者たちを描き、描くことでかれらの霊をなぐさめる。いうまでもなく、日本軍の事実としての残虐行為を隠そうとすることはない。深いところで、水木先生が戦争を描く限りその表現はすべてが慰霊だが、その慰霊の対象が戦友たちに限られるのではないのが、精神に変調をきたした昨今の日本主義者たちとは明確に一線を画するところだ。

 

 ラバウルにおいて日本軍に殺されることも傷つけられることもなく生き延びることができた、オーストラリア軍のスパイだったフィリピン人のホセ一家を描く「レーモン河畔」が奇譚としての輝きを放っている。殺戮にみちた戦場に生じた、細い光の糸のような話で、これを作者はなんとしても描きたかったのだろう。描いてくれてよかった。それは事実なのですか、と問う人はいるだろうが、そして究極的にはその事実性はわからないが、これは事実だったろうと思わせる何かがたしかに感じられる。読んでみてくださいというしかない。