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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

リチャードくんと目が合って【評=林真】

ロバート・ヒンシェルウッド/スーザン・ロビンソン著、オスカー・サーラティ絵『はじめてのメラニー・クライン グラフィックガイド』(松木邦裕監訳、北岡征毅訳、金剛出版、2022)

 

 まず書いておかなくてはならないのは、本書が文字通り「グラフィックガイド」だということだ。精神分析家メラニー・クライン(1882-1960)の伝記的紹介を通じて彼女の探求した諸概念を解説する本書は、グラフィック・アーティストのオスカー・サーラティによる強烈なイラストレーションによって成立している。文章に挿絵がついているのではなく、絵と活字の文章とが一体となっているのだ。

 

 最初その絵柄を見たとき、正直にいえば「怖い」と思った。次第にユーモラスで愛嬌がある絵柄にも思えてきたが、そこには単なる戯画化ではない切実さが込められている。読み進めるうちに気づいたのは、クラインの分析が扱った人間の精神というものもまた、実際に恐ろしく、ときに愛嬌があり、切実なものなのだということだ。著者たちは次のように書いている。

 

 メラニー・クラインならではの内的世界の理解は、桁外れに深かったが、人々を困惑させた。彼女は、摂取された人物たちと非常に豊かに生きている内的世界を発見したのだった。それは、子どもが自分の内側にいる人たちと遊んでいるかのようだ。子どもがおもちゃで遊んでいるときとちょうど同じである。不安ではあっても、創意に富むと、子どもは安心する。(97)

 

サーラティのイラストレーションは、この状況を上手く表現していると思う。ときに不安を誘う絵があっても、その創意が安心をもたらしてくれる。

 

 クラインと精神分析のセッションをおこなった子どものひとりにリチャードという少年がいた。最初リチャードくんの絵と<目>が合ったとき、私は疑問を抱いた。彼はどうしてこんなにおそろしく描かれているのだろう? しかし終盤にまったく同じイラストレーションが登場した際、私は思わず涙ぐんでいた。理由を詳しく書くことはしないが、少なくとも怖かったからではない。多数のイラストレーションを通じて、それらを見る私自身が変化していた。

 

 メラニー・クラインにすでに詳しい読者が本書をどう受け取るかはわからない。しかし私にとって本書は、クラインの思想を知るための非常に良い手がかりとなった。次はクリステヴァのクライン伝に挑戦してみようか。