高良勉編『山之口貘詩集』(岩波文庫、2016)
詩は何を題材としてどんな語法で書いてもいい。できあがった言葉の配列が生む光景にどんな光がさすかだけが問題だ。ここに記されている言葉は言葉として真実だと信じられるかどうか。言葉そのものが唸りを発するかどうかだ。晩夏の午後、山之口貘詩集にひたってみた。よい笑いのうちに詩が土砂降りになる。彼の主題は貧乏、借金、結婚願望、沖縄、生活、ミミコ。愛される詩、泣かされる詩だ。そんな彼に「兄貴」が書き送る。「大きな詩を書け/大きな詩を」と。彼は答えて「るんぺんあがりのかなしい詩」に呼びかける、「大きな詩になれ/大きな詩に」と。気取りのない正直な口語詩を追求する貘だが、言語の斬新さはすごい。「旅はそこらに郷愁を脱ぎ棄てて/雪の斑点模様を身にまとい/やがてもと来た道を揺られていた」彼が関東大震災を経験したのは20歳の誕生日直前。この短評は毎回400字で書いているが、今回のみ次の詩篇を特別に掲げよう。貘の霊のために。
その日その時 山之口貘
その日その時
とるものもとりあえず
ふたりは戸外に
飛び出してしまったのだ
それでもかれはかれの
ヴァイオリンだけはかかえていた
ぼくはぼくの
よごれ切ったずっくの
手提の鞄をひとつかかえていたのだが
鞄のなかにはいっぱい
書き溜めた詩がつまっていた
こんな記憶を
いつまでものせて
九月一日の
地球がゆれていた