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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

立ち話7 鞍田崇さん(哲学者)

 

鞍田さん、東京にいらしたのいつでしたっけ。

 

2014年です。もう8年ですから、大学を2回卒業した感じ(笑)。

 

関西圏と関東圏、雰囲気もちがうし人間関係もちがうと思うのですけれど、どうですか、そのあたりは?

 

もともと関西は町の規模が小さいので、一人の人とつながるとまた次の誰かへとつながるという連鎖が速いんですよね。特に京都なんて歴史的にいって専門職の集合体みたいなところもあるので、アカデミックな世界にかぎらずそういうひろがりがおもしろかったという面は、実際にありましたね。それが東京に来ると規模感がぜんぜんちがうので、つながりが希薄になっちゃったなというさびしさがある一方で、つながっていくときの相手が場合によっては圧倒的にレベルが高かったりして、別の様相で人との新しい関係を楽しんでいるとはいえるでしょうか。

 

この数年は会津にずいぶん深く関わっていらっしゃいますけど、あれなんかもこっちに来てからですよね。

 

本格的にはそうですけど、きっかけは京都にいた時だったんです。でも近くなったので、より関係が密になりました。

 

会津では昭和村でからむしの生産の過程をぜんぶごらんになったわけですが、プロセスの全部を見ることと一部しか見ないことはまったくちがう経験ではないでしょうか。

 

まあ、とりわけ、素材を作ることに人ってこんなに労力と時間をかけてきたんだという点が本当に印象深くて。できあがった製品が日常にどう関わるのかはもちろん問題なんですけど、物ができるまでのこれだけの作業量、それがおそらく人の営みの本質なのかな、と。いまの社会って、できあがった部分しか見ないから。そこが圧倒的にちがうなと思いましたね。

 

会津だけじゃなくて常滑とか、他にも何か所かくりかえし訪れているところがありますね。

 

常滑のほかだと燕三条とか、福井の鯖江とか、あるいは山陰のほうとか。直接民芸とつながる部分もあるんですけれど、まあ物作りをやっているところを広く、という感じです。

 

日本列島の見え方もずいぶん変わってきましたか。

 

そうですね。特にこの十数年、不景気がつづいていますが、21世紀という新しい世紀を迎えながら次の方向が見えているようで見えない、少なくとも社会がそっちのほうへ方向転換できていない。すると物作りをやってきた町のたくましさが輝いて見えるんですよね。かれらは10年、20年のスパンでやってきたんじゃなくて、100年、下手したら1000年をかけて培ってきたものの上でやっているので、まだまだそこを掘り起こす可能性ってあるのかなと思います。

 

日本ってね、しばしばいわれるのが均質的な社会だとか単一言語の社会だといったことですけれど、じつは地域的な多様性はものすごくあるんじゃないか。

 

それはすごく実感します。特に手仕事なんていうのはもともと風土的なものでもあるし、素材なり技術なり、その土地ならではのものが根っこにはあるので、たとえ工場での機械生産になった場合でも、そうした系譜みたいなものはどこかに残っている。

 

日本でまだ行ったことがなくて行ってみたいと思っている土地、ありますか。

 

じつは47都道府県ぜんぶ行ってはいるんですよ。行ってるんですけれど、深く関わりきれていないなあと思うのは… 四国かな。特に愛媛のほうとか、山のほうには。

 

おっ、ぼくの生まれ故郷ではありませんか。

 

え、そうなんですか! ぜんぜん知らなかった(笑)。じゃあ、大江健三郎と一緒?

 

大江さんのふるさとの内子町の隣、野村町というところです。

 

ぼくは学生時代、大江健三郎がほんとうに好きで。彼は四国の村の話をするじゃないですか。いつか行かなきゃと思いながら、気がつくとちがう方向に行ってしまって。

 

ぼくの場合、別に地元の人間じゃないから、まったく何も知らず。生後6ヶ月しかいなかったし。

 

管さんはでもそういう意味では、どこかの地域がふるさとというよりはノマド的なんでしょうか。

 

そう、それが私のさびしいところです(笑)。では最後のひとことをおねがいします。

 

ノマドっていう言葉が出ましたけど、ぼくらそうやって動きながら居場所を求めつづけてきたんだろうな、という気がするんですよね。そういう場所をまだまだこれから、自分なりにもかたちにしていけたらいいなと思っています。