Coyote Reading

明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

無数の星の散る夜をしのぶとすれば【評=中村絵美】

赤坂憲雄『〈災間〉に生かされて』(亜紀書房、2023)

 

 書店で一際目を引く本が、本書だった。まず色が良い。とても鮮やかな黄と青が基調だ。そして二色の境目に綺麗なぼかしが入っている。カバーを外してみると中の表紙は淡い黒で、小さな無数の灰色の点が、よく見ると灰色だけじゃなくて赤や青の小さな点が散りばめられている。いや、練り込められているようだから、これは再生紙なのかも。

 

 目次に「夜語りの前に」とか「第一夜」とあったから、本全体のデザインが、夜ともう一つの世界のあわいのようなものを表していたりするのだろう、とひとまず合点し買って帰った。ブックデザイナーは川添英昭というらしい。

 

 そして一気に読み終わって、こう思った。この装丁は、赤坂の文章まるごとを物質的に体現しようとしたものと見て間違いない。本書には、絵で言うところの地塗りとして、東北の人々の言葉と著者の身体的経験がしっかり塗り込められている。画面の上に新しい絵の具が次々と塗られていって、目に見える色彩の調子が地の色とはまったくかけ離れたものになったとしても、それは絵の一番下に必ず存在する。鮮やかなカバーに隠された、無数の星の散る夜空のような表紙がそれに相当している。言うまでもなく、本書で語られる赤坂の言葉には、2011年3月11日に起こった東日本大震災とつづく10年間の彼の経験が塗り込められている。

 

 本書のまえがき「夜語りの前に」で、赤坂による「前口上」が述べられる。東日本大震災の後に、一時期「災後」という言葉が使われていたこと。また、それは戦後との対比を求められる言葉であったが、「災後」は戦後とは異なって、「明るい変化への期待」がいまだ果たされない社会であること。「災後」は「暗い不安」に満たされ、そしていずれ「底なしのさびしさ」に覆われる、と赤坂は言う。

 

 そうした暗い時間の中で、彼は〈災間〉という言葉を知った。この言葉は、仁平典宏の「〈災間〉の思考」(『「辺境」からはじまる』明石書店、2012)という著作によっているという。ここで東日本大震災が、〈災間〉の一つの境目として位置付けられる。すると、今と比較してみるべきもう一方の境目が「戦後」だけではなくなる。

 

 この前口上が済んだあとの語りはしなやかだ。例えば田附勝の写真集『おわり。』を通じて東日本大震災後の三陸の猟師の語りへ、そして宮沢賢治の詩「原体剣舞連」の「打つも果てるもひとつのいのち」という言葉を通じて「東北のいのちの思想」へ迫ろうとする。各章ともに文学、美術、写真といった様々な作品の言葉、そして東北に住まう人々の言葉と経験が、数多く引き合いに出される。

 

 ただし、この方法は学術的な引用の仕方とは異なっている。本書の文章の全てを、赤坂が能舞台で演じる語りだと、前口上によって仮構しているのだ。そうであれば、彼はこの舞台の上で発話を通じて人々の言葉を再生し、語られた人々のいのちをもその瞬間に再演しようとしているのか。そうした再生再演の繰り返しによって、危険に満ちた〈災間〉のあわいを行き来することがようやく可能になるのではないか。