Coyote Reading

明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

立ち話8 小沼理さん(ライター)

 

小沼さんはライターのお仕事をされていますね。いちばんご興味のある分野は何でしょうか。

 

けっこういろんなことでライターをやっているんですけれど、いちばん興味があるのは本の分野ですね。

 

でも「本」てすごく広いじゃない。

 

はい(笑)。

 

本の中ではどういうジャンルでしょう。

 

ぼく日記をずっと書いていて、読むのも日記に興味があります。

 

ああ、おもしろいですね。たとえばどんな人の日記を?

 

最近の方なんですけど、すごく好きなのは植本一子さん。写真家でもあるんですけれど日記をたくさん書いていらっしゃって『かなわない』『家族最後の日』など何冊かの本になっています。自分の感情とかを、ぼくは世間一般の言葉に寄せて書いてしまったことがあるように思っていて、そうじゃなくてフラットなんだけど自分の中から出てきた言葉を植本さんは書かれるなという感じがするんです。もともと自分がやりたかったことを考えると、こういう言葉はいいなと思った。

 

日記は誰のために書くんでしょう。

 

ぼくは第一には自分のためです。まず書いて、それを読むことで、自分が本当にどんなふうに感じているのかを考えるための時間になるみたいな。

 

日記文学というのは世界文学の中で大きなひとつのジャンルになっていますね。ぼくなんかはフランス文学をやっていましたからアンドレ・ジッドやジュール・ルナールやミシェル・レリスの日記を愛読してきました。別に古典にこだわる必要もないのですが、他にはどんな人の日記がおすすめでしょうか。

 

滝口悠生さんの日記も好きです。日付のある、いわゆる日記形式のものもあるし、日記を書いていたはずが小説になった『長い一日』のようなものもあったりして。

 

滝口さんには、アイオワ大学の有名なライターズ・ワークショップに参加されたときの日記などもありましたね。おなじくアイオワ滞在記を発表している柴崎友香さんと、ちょっと前に八戸ブックセンターでギャラリー展示と対談(2019年12月)をされていたんじゃなかったかな。別のときに下北沢の本屋B&Bでいろいろな人が交代でDJをやるオールナイトのイベントがあって、ぼくもやったんですが彼もそのときDJで、たぶんすれちがったんだけどそのときは顔を知らなかったのですれちがいで終わった。

 

管さんも日記を発表されていますよね、『本は読めないものだから心配するな』にも出てきますけれど。

 

ああいうのは必要に迫られて書く日記ですね。しめきりのある原稿として書いた日記。自発的には書かない。もちろん事実の記録くらいは2、3行書いておきますけれど。でもね、書いておけば10年後でも30年後でも読み返して何か思うこともあるわけだし。もともと「すばる」に書かせてもらった「アラスカ日記2014」とか「貴州二十四葉」などの日記=旅行記は、それなりに自分にとっても意味がある文章として残っているかもしれない。

 

話しながら、日記はぼくにとってコンテクストを作っていくことなのだなと思いました。生活していて入ってくる情報や体験が、書くことで一つの流れに位置付けられていくというか。その時その場にいた時は漠然としていたけど、家に帰ってひとりで書いている時にわかることがたくさんあります。日常はいつも波や風で揺れていて、その動きを読むことで疲れてしまうんですけど、日記を書く時は凪の状態、無風の空間なんですよね。そこでようやく本当に何を感じていたのか少し理解できて、自分なりの文脈が育っていくように思います。