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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

何もしないことを受け入れるために【評=大洞敦史】

石飛幸三『「平穏死」のすすめ──口から食べられなくなったらどうしますか』(講談社文庫、2013)

 

 死は、生けとし生きるものに共通の終着点だ。しかしそこに至る道のりはさまざまである。突然死、長い苦痛の末の死、穏やかに迎える死……。なるべく苦しまずに逝きたいとは誰しも願うが、それには一体どんな形があるのかを、およそ八割の人間が病院で死を迎える社会に生きている私たちは、なかなか直に知る機会がない。ならば、幾多の死に立ち会い、死の有様を観察してきた人は、どんな見方をしているのだろうか。

 

 著者は、東京都世田谷区にある特別養護老人ホームの常勤配置医という全国でも珍しい立場で、お別れを日常とする場に長年身を置いてきた。それはまた、入居者の家族の感情とも長年向き合ってきたということだ。

 

 本書は、老衰末期の家族をもつ人々に、どこまで医療を受けさせるべきかを考えてもらうために書かれたものだ。

 

 ものを食べられないほどにまで老衰が進んだら「できるだけ自然に沿って対応した方が、本人が楽に最期を過ごせる」。死には本来苦しみはない、という信念を著者はもっている。

 

 自然に沿った対応とは、本人が必要としている以上の栄養や水分を与えない、というのを主とする。過剰な栄養と水分は、体に負担をかけ、苦痛の元になる。

 

何もしないで安らかに看取ること以上の看取りはないのです。(45)

 

入所者が食べられなくなってからの最後の数日間の様子を見ていると、喉の渇きや空腹を訴える方に出会ったことがありません。何も体に入っていないのにおしっこが出ます。自分の体の中を整理整頓しているかのようです。(中略)このような状態では体から自然に麻薬様物質であるエンドルフィンが出ると言われています。だから苦痛がないのだと言います。私にはその感じがよく判ります。(89-90)

 

 著名医師の日野原重明氏も、解説で「老衰から生じる脱水は、苦痛の少ないゆるやかな死を当人にもたらしてくれます」と、はっきり述べている。日野原氏はまた「自然に反したものはどんなものでも苦痛を与えるが、老いとともに終局に向かうものは、およそ死のなかでももっとも苦痛の少ないもの」だというプラトン(『ティマイオス』)の言葉も引く。

 

 自宅で最期を迎えることが一般的だった時代・社会の人々も、経験的にこのことを知っていた。ある日三宅島に住む男性が、入院中の高齢の母親に会いに来て、著者に涙ながらにこう話したという。「三宅島では、年寄りがものを食べられなくなったら、水を与えるだけです。そうすると苦しまないで静かに息を引き取ります。水だけで一か月は保ちます。」


 その男性は、病院で勧められるまま延命治療を行うことに同意し、後悔することになった。

 

 しかし家族にとってみれば、生命の火が消えようとしている人を前にして、何もしないでおくほど心痛むことはない。また医師からすると、何もせずに患者が死ぬと、刑法第219条の保護責任者遺棄致死罪に問われる恐れもある。そうして当人は病院に運び込まれ、点滴や経鼻胃管や胃瘻(ろう)による栄養注入、酸素吸入などがなされ、一度下ってきた坂を、再び重荷を背負って登らされる。

 

 医師も、忸怩たる思いをかかえながらそうしている場合が多い。医師を対象にした調査によれば、単なる延命処置は要らないと考える人が八割強を占めている。

 

 私は先日、岐阜県にある在宅医療法人専門クリニック「かがやき」を視察する機会があったが、そこでも患者の家族に向けて次のように言われていた。

 

「自宅での最期の瞬間には、必ずしも医者も看護師もいりません。ご本人とご家族の大切なお別れの時間として、水入らずで過ごしていただくのがよいと思っています。連絡をいただくのは、お別れをした後からでけっこうです。」

 

 冒頭にも書いたが、私たちの多くは、備えのないまま、ある日突然、家族や自分自身の終末期に面と向かうことになる。そして大きな決断を迫られる。

 

 日頃から、死を迎えようとしている身体と心についてより深く知り、かつ、希望する死に方を考えておくことが、望まない形で人生を終える恐れを減らすことにつながるはずだ。そのために本書は大きな示唆を与えてくれる。有備無患(そなえあればうれいなし)。

 

ポケットに俳句を【評=管啓次郎】

Sam Hamill. The Pocket Haiku. Shambhala, 1995.

 

 飛行機の中で読むのに文字がつまっていると目が疲れるので、俳句本を空港で買った。サム・ハミルによる『ザ・ポケット俳句』、コロラド州ボウルダーのシャンバラから出ている。そもそも俳句の知識がほとんどないので、大変に楽しめた。読んで、日本語原文が思い出せるものはあまりおもしろくない。英語の3行詩として読んで、独自の情が感じられるものがいい。3行には音節が5・7・5になっているものも、どうもはずれているものもあるが、それは気にならない。英語で音節数をそろえるのと日本語でそうするのとはそもそもちがう。イメージの組み立てにもっぱら注意がひきつけられる。全体はバショー、ブソン、イッサ、その他の詩人という4部構成。おもしろいと思ったものをいくつか見ておこう。

 

 バショーからはたとえば

 

なんと貴いことか!

稲妻の一閃のうちに

悟りを得ないお方は

 

娼婦と僧侶

われらひとつ屋根の下にねむる

シロツメクサの野には月

 

蝉の鳴き声のうちに

示唆するものは何もない

かれらがいましも死ぬのだとは

 

バナナの木が

風に吹かれて雨滴をこぼすのだ

バケツに

 

仏陀の誕生日

斑点のある鹿の子が生まれた

ただそれだけ

 

明るい秋の満月が

私に一晩中歩かせる

この小さな池のまわりを

 

 つづいてブソンからは

 

稲妻一閃──

水滴の落ちる音が

竹やぶで聞こえる

 

僧侶らしい貧しさ──

長い寒い夜を徹して

木で仏陀を彫っている

 

さようなら。おれはキソの道を

これからひとりで行くよ

秋とおなじく老いて

 

下着をつけていないので

裸の尻がいきなりさらされちまった──

春の突風のせいで

 

この寒い冬の夜

あの古い木彫の仏陀の頭は

さぞよく燃えることだろう

 

雨季の雨だ

名前のない川沿いでは

恐怖にも名前がない

 

 そしてイッサでは

 

こうして春が始まる。古い

愚行がくりかえされ、

新たな過ちが発明され

 

野良仕事をする人々に

心の底からお辞儀をします。

では、ちょっと昼寝するよ。

 

わが蚤たちよ、おまえたちにとっても

夜はゆっくりとしか過ぎないね

でもさびしがらせはしない

 

おかあさん、ぼくは泣く

海を見ながらあなたを思って

海を見るたびに必ず

 

遠い山々が

とんぼの目に

映っている

 

老いた犬がじっと

耳を傾けている、まるで

みみずの仕事歌を聴くように

 

おお、秋の風よ

おれの行き先を教えてよ

それはどんな地獄なのか

 

あちこち蚤にくわれているが

彼女の若くきれいな肌の上では

その跡も美しい

 

長い昼寝のあと

猫があくびをし、立ち上がって、出ていく

愛を探しに

 

 以上、3人の巨匠以外の詩人からは、別に理由はないがキカクの次の詩だけをあげておこう。ちょっとウィリアム・ブレイクを思わせる想像力だ。

 

タロイモの葉っぱ一枚に

水ひとしずくの全生涯が

含まれている

 

 1時間ほどで読めてしまう薄くて余白の多い本だが、目が覚めるような瞬間がいくつもあり、また俳句という短詩に対する興味をかきたてられるには十分だった。特に思ったのは、一茶のおもしろさとモダンな感覚。そして芭蕉、蕪村以来のすべての俳句的な感受性に底流として流れる、禅仏教的な感覚の強さだ。

 

 「あたりまえでしょ」などといってはいけません。決まり文句としてそうした判断を聞くのと、自分がそれを作品をつうじて体験し納得するのとは、まったく別のことなのだから。サム・ハミルによる英訳というフィルターを通して、俳句というジャンルにまた出会い直すことができたようだ。誰よりも、一茶。こんどまとめて読んでみよう。

 

嗜好品としての詩? 【文=管啓次郎】

(たばこ総合研究センター「TASC」2023年6月号に寄稿した「詩をつかまえるために」と同時に書いた短文です。どちらにするか迷ってひっこめたほうの文章ですが、よかったら読んでみてください。)

 

 自分は詩には無縁だと考えている人が多い。現代生活を見ていると人はさまざまなジャンルを区分けしてはその大部分が自分には無関係だと思い、ほんのいくつかを選んで興味をもったりその活動をしたりするのがあたりまえになっているようで、それがひとりひとりの人生を非常に狭くてつまらないものにしている場合が多いように思う。細分化・専門化・商業化は足並みをそろえてやってくる。小学校以来の時間割、クラス分け、課外活動、習いごとなどがそんな習慣を助長しているのではないか。どうもそんな気がしてならない。

 

 けれども詩に無縁の人はいないのだ。言葉を覚えてそれによって世界を理解し生活を組み立ていろいろなできごとを記憶している以上、誰もが自分の詩をもっている。過去に経験したある強い情感が言葉の小さなかけらにより甦ってくることがあればそれはすでに詩の時間のはじまりで、詩は詩というかたちをとらなくても日常生活の中におびただしく見つかる。ほら、猫がふりかえった。その文だけでも猫好きな人にとっては想像力を始動させるのに十分なはず。窓から猫が見ている。そのセンテンスにぶつかることは実際にその情景に遭遇するのとおなじくらい、人の気分を一瞬で変える。詩はこの効果の延長線上にある。

 

 嗜好品というとまずコーヒーやお茶や煙草や各種の酒だろうか。飲食物として生命維持のために必須ではなくても、それを摂取することにより確実に気分が変わる。生活がどんな活動からなっているにせよ、その「嗜み」のための時はそのときの活動のいわば句読点となってリズムを生み、小さな再始動を準備してくれる。いうまでもない。体内にとりこまれる物質はたしかによく効くが、たとえば運動とか音楽とか美術とか手仕事とか、物質を用いることなく瞬時に意識を変え別の方向にむかわせる活動だっていくらでもあるわけだ。

 

 そしてちょっと考えてみるなら、詩という言語の経験はそれ自体非物質的な嗜好品摂取でありながら、いまあげたすべての経験を呑みこんでいるともいえるだろう。詩とは言語的な酒であり煙草でありコーヒーやお茶であり、手すさびであり美術であり音楽であり運動だ。人間がなんらかの活動を組織することにも記憶することにも言葉が全面的に関わっている以上、こうしたすべてがじつはつねに詩とともにある。きみも詩を読んでみるといい。書いてみるといい。それは特別なもの/ことではないとすぐにわかるはずだ。


 

余計なお世話と地獄耳【評=林真】

幸田文『草の花』(講談社文芸文庫、1996)

 誰かの放ったなにげない一言に水を差される。あるいは、ついぽろりとどうしようもないことを言ってしまい、後悔する。本書に収められた随筆には、いくつかそういう場面が登場する。

 

 表題作「草の花」は小学校を卒業した幸田文が女子学院に通っていたころの回想録だ。あるとき幸田は母親(露伴の再婚相手)に「特選」という札のついた着物を買ってもらうことになる。上機嫌の幸田に母親は言う。「きっとこれ西洋の先生に好かれる柄よ、異人好みだもの」「西洋の人に好かれなければ損なのよ、ミッションではそれで随分ちがっちゃうんだから」。西洋人教師の多い学校に通う娘が、少しでも先生に好かれるようにと考えたのだ。しかしその打算のことを、新しい着物を喜んでいる娘にわざわざ伝える必要はない。母の言葉を思い出し、幸田はこう書く。

 

 変なふうに聞えた。地獄耳ということばがある。聞かずともいゝこと、聞かせたくない人の秘事を迅速にさっと聞いてしまい、そして潜在的におぼえているのをいう。大喜びで買物に来て気に入ったものを買ってもらって、大満悦でいる最中に、私という子にはなんだって地獄耳がとんがっていたんだろう。でも、ほじり出して聞いたのではない、地獄が勝手に対うからこっちの耳へはいって来ちゃったのだ。なぜ、はゝも不用意にこんなことを云っちまったのだろう。得意で心が軽くなっているときに唇が不用意になっているとは、人間というものは悲しいものである。ほんとに、ひょいと云ってひょいと聞いたんだから。(56)

 

そう、人は言わなくてもいいことを「云っちま」うし、「地獄」は「勝手に対うからこっちの耳へはいって来ちゃ」うのだ。すさまじい文章だと思う。なぜ言ったのかという恨みや、聞こえたのだから仕方ないという諦めとは少し違う。誰かが言葉を発して、誰かがそれを受け取るという事態の根源に触れるようななにかがここにはある。

 

 あるいは「長い時のあと」という随筆では、幸田の知り合いの夫婦のことが語られる。その夫婦はいかにも離婚しそうなのだが、妻のほうは息子が成長するまで現状を維持しようと決めているようだ。しかしその期間は、息子が小学校を出たら、中学を出たら、高校・大学を出たら……と、どんどん引き延ばされる。そこで幸田は、「せめて就職したら、せめて結婚したら、せめて孫を見て、せめてひ孫〔原文は「ひ」に傍点〕を見てでしょ。そんなこと云ってゝおしまいになるわよ」と軽口をたたく。余計なお世話である。もちろん幸田もそのことをわかっていて、次のように書く。

 

「あゝ悪いことを云ったなあ、大変ないけないことを云った。あのひとをこのさき一生傷つけるようなこと云ってしまった。まずかったなあ」と悔やんでももう遅い。(148)

 

間違ったことを言ったわけではないため、訂正もできない。幸田は暗澹たる気持ちになったことだろう。だが私は、この文章を読んでなにか爽やかさのようなものを感じてしまう。「悪いことを云った」「いけないことを云った」「云ってしまった」「まずかった」という度重なる後悔の末に、「悔やんでももう遅い」という事実が急にあらわれるからだろうか。

 

 おそらく幸田は、母から言われたことを根にもっているし、知り合いに言ったことをずっと悔やんでいるだろう。しかしそうした経験が幸田によってきわめて冷静に検討され文章化されるとき、なにかが起こる。その場のやるせなさが、言葉によって整理されるのではなく、言葉によって解放される、とでもいえばいいだろうか。その解放はやはり、読者にある種の爽やかさを与えるものだろう。「云っちまった」なあと悔やんだとき(そんなときでなくとも)、ぜひ本書を開いてみてほしい。

 

歪みと沈下【評=中野行準】

「六本木クロッシング2022往来オーライ!」展(森美術館)

「青木千絵個展 沈静なる身体」展(ギャラリーSOKYO ATSUMI)

 

 青木千絵の彫刻は微動している。うなだれ、もつれ合い、倒れかかっている人型の彫刻は、重力に耐えきれず、平衡感覚を失いながら、少しずつ地に沈んでいく。それらの彫刻は、身体を動かすことの喜びに満ちてはいないし、ギリシャ彫刻が強調するような肉体の美(そして健全な肉体に宿る健全な魂)を賞賛するような運動の状態にもない。しかし、それらの彫刻はけっして静的ではない。むしろ、青木の彫刻は特異な空間のなかで、互いにせめぎ合いながら、かすかに震えている。

 

 「六本木クロッシング2022往来オーライ!」展に展示された〈BODY 21-3〉(2021)は、うなだれる姿勢の人型の彫刻作品であり、高めの台座に置かれていた。座ったままお辞儀をしているような姿勢のこの彫刻が異様なのは、頭部に付属する黒い物体の存在による。この物体は、その重みで人を引きずり、下へ下へと向かわせる。見ていると、この物体に引かれて、台座に乗せられた彫刻がずり落ちてしまうのではないかと心配になる。だが当然この彫刻は、そうはならない。黒い物体によって下に引きずられているように見えるこの彫刻は、その位置を寸分たりとも変化させないことで、永遠の沈下運動の最中にとどまりつづける。

 

 青木のほとんどの作品に付随するこの黒い物体はいったいなんだろうか。長縄宣はこれを「肉体から遊離した「魂そのもの」」だという(1)。また、青木自身は〈BODY 21-1〉(2021)について語った文章のなかで、その彫刻に「胎児を宿し守る強い母性」を感じ取っている(2)。さまざまなものの象徴として捉えることが出来るこの黒い物体こそが、青木の彫刻の中心点であり、周囲の空間と身体を歪めていることは間違いない。だからこそ、私はこの黒い物体を、重力の凝縮点であり、まわりの場を歪めるブラックホールのようなものだと考えてみたい(3)。

 

 「青木千絵個展 沈静なる身体」展(ギャラリー SOKYO ATSUMI)で展示されている〈BODY 22-3―宙を懐く―〉(2022)で、この黒い物体はまさにブラックホールさながら、物質を吸収しようとしている。腕と頭はこの黒い物体とほとんど一体化していて、肩からお腹までの部分と黒い物体との境目は曖昧だ。臀部と足は明確な輪郭を持っているが、いずれこの黒い物体に吸い尽くされてしまうだろう。この黒い物体は、その重みで人間の身体を歪めるのだ。そして、その黒い物体(と身体)を覗き見る者もまた、ブラックホールによって歪められた場に巻き込まれ、歪む。これは比喩ではない。われわれが実際に青木の彫刻に近づき、その表面を眺めるとき、漆が何重にも塗り重ねられたその光沢ある表面は、そこに歪んだ観者の姿を映す。青木の彫刻に近づくとき、私たちは、無傷の観者ではいられない。そのときすでに私たちはブラックホールが生み出す歪んだ場に巻き込まれているのだ。

 

 こうした歪みの効果は、複数の彫刻作品が展示されている空間では、さらに際立つことになる。彫刻に付随するブラックホールは、相互に影響を与えあい、歪んだ空間を生み出し、展示会場の全体を通常とは異なった位相の場へと変化させる。青木作品の展示空間に足を踏み入れた瞬間に感じる奇妙な感覚は、こうした物体相互の力のせめぎ合いの効果によるのだろう。そして青木がこうした物体相互の力関係に自覚的な作家であることは、「沈静なる身体」展で展示されていたドローイング作品からも読みとれる。

 

 ドローイングの多くは、黒を背景に白い円形のものがふたつ描かれ、ふたつの白い円は曖昧につながっている。つながった結果として、あるものは紐状に、またあるものは大きなふくらみを持つひとつの物体になっている。これらのドローイングを、身体が具体的な形を取る前の原初の存在、つまり胚として捉えることもできるだろう。しかし、ここではもっと根源的に、物体間に働く力の相互関係が描かれたものだと考えたい。ここには、ある対象ではなく、場の変容をもたらす力関係こそが描かれているのだ。さらに、これらのドローイングが白で描かれていること、つまり彫刻の表面の漆黒とは正反対の色で描かれていることを踏まえれば、これらは展示空間の力関係を写した設計図あるいはネガだということが出来るだろう。青木のドローイングと彫刻(の展示空間)はまさに表裏一体なのだ。

 

 最後に青木の作品群の中で例外的な位置を占めるものを取り上げておこう。それは〈BODY 20-1〉(2020)や〈BODY 17-1〉(2017)などの、天井から吊るして展示されるタイプの作品だ。これらの彫刻も人間身体の形をしているが、異様なのは長く伸びた胴で、それに覆われているのだろうか、頭部は存在しない。身体の一部が欠けていることは青木の他の作品と大きく異なっている部分だが、もっとも重要な違いは彫刻全体から受ける印象だ。じっと見ていると、これらの彫刻は、少しずつ上昇しているように感じられるのだ。この印象は、彫刻が天井から吊るされていることや爪先立ちという姿勢、さらに胴の極端な長さが鑑賞者の視線を徐々に上に誘うことに由来すると思われる。しかし、この上昇は単なる上昇ではない。というのも、他の彫刻と同様、あの黒い物体の重みが彫刻を下へと向かわせているからだ。もし下降の力が上昇の力をこえれば、この彫刻もまた、うつむき、うなだれたあの姿勢にたどり着くだろう。しかし、ここではそうならない。その重みに耐えながら、その重みとともに、彫刻は上昇していく。その姿は凛々しく美しい。青木のこれからの製作において、下降運動と上昇運動のせめぎ合いが見事に造形されているこれらの作品群が重要なメルクマールであることは間違いない。

 

(1)長縄宣「漆黒の闇を行き交う——魂の行方」現代美術 艸居編『青木千絵』(現代美術 艸居、2018)、54。

(2)青木千絵「乾漆技法による人間表現の探求:《BODY 21-1》の制作を終えて」『金沢美術工芸大学紀要』66号、2022、32−36。

(3)先の文章で長縄もまたブラックホールという比喩を用いて青木の作品を説明しているが、十分な考察がされているとは言い難い。

 

浅間山の大噴火がフランス革命をひきおこした?【評=管啓次郎】

青山誠『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社、2021)

 

 旅先の本屋でつい買って、移動中にさらりと読んでしまった。雑学の宝庫、それは歴史。知らないこと、思い違いをしていたことはたくさんあるものだ。202のトリビアが扱われ、配分(日本史、西洋史、東洋史)がいいのでまったく飽きない。いくつか例を記す。西郷隆盛は象皮病で睾丸が巨大に腫れあがっていた。平賀源内は殺人罪で獄中死した。ベジタリアンのヒトラーは納豆が好きで兵士たちへの食糧として研究させた。江戸時代の大名の7割が愛知県出身。日露戦争の戦費調達のための借金は返済に80年かかった。かつてペストやコレラが流行するたび予防薬として子供までもが煙草を吸わされた。戦国時代の日本は世界の鉄砲の3、4割を所有する軍事大国だった。日本は朝鮮戦争に参戦していた(国連軍のための掃海作業は戦闘行為とみなされる)。「容疑者」という新語がはじめて使われたのは田中角栄に対して。


 どうも戦争関係の話題が多いが、さらにいくつか。ドイツが第一次大戦の賠償金をすべて払い終えたのはやっと2010年。ジハードを「聖戦」と訳すのは誤りでそれはもともと神の道において「奮闘」せよということ、誤った好戦的イメージは払拭する必要あり。「天高く馬肥ゆる秋」の元の詩行は「雲浄妖星落 秋高塞馬肥」(杜審言)で「禍々しい災いが迫っている。肥えて大きな馬に乗った北方の異民族がやってくるから警戒しろ」という意味だったそうだ。マゼランがじつは世界一周を達成していないこと(太平洋横断成功後、ある島で住民たちに毒矢で殺された)はいわれてみればそのとおり。義経=チンギス・ハン説を考案したのがシーボルト先生だったのも興味深いが、台北は台湾の首都ではないこと、古代エジプトではハイエナが狩猟用にも食用にも飼われていたこと、イギリスが本気で氷を素材とした船艦を試作したこと、幕末に上総請西藩の藩主・林忠崇は新政府軍と戦うためにみずから脱藩したこと、東京タワーの3分の1は朝鮮戦争に配備されたのち鉄屑として払い下げられた米軍戦車でできていることなど、事実はたしかに想像をはるかに凌駕している。


 なかでも覚えておこうと思ったのはmafiaという言葉の語源。Morte alla Francia Italia anela (フランスの死をイタリアは望む)とはフランスの圧政に苦しんだシチリアの島民たちの誓いの言葉だった。数年前から英語の授業にトリビアを取り入れているが、いくつかは使えそう。自然科学系の話題でこんな本があると、いっそうありがたい。

 

1羽のペンギンへの返答【評=林真】

トム・ヴァン・ドゥーレン『絶滅へむかう鳥たち――絡まり合う生命と喪失の物語』(西尾義人訳、青土社、2023)

 絶滅とはいかなる事態か。本書は「絶滅のなだらかな縁」にいる鳥たち――ミッドウェー島のアホウドリ、インドのハゲワシ、シドニー湾のコガタペンギン、アメリカシロヅル、ハワイガラス――をめぐる5つの章を通じてその問いを探求する。

 

 本書が再考を促すのは「ある1つの『種類』あるいは系統の最後の個体の死という単独の事象が絶滅であるという捉え方」だ。著者にとって「絶滅は、明確な区切りをもつ単独の事象――始まると急速に展開し、やがて終わりを迎えるもの――などでは決してない」(94)。そうではなく絶滅とは「なだらかな縁」をもつ事態なのだ。これは考えてみれば当然のことだろう。種というものが地球上でそれぞれ独立して存在するはずがない。ではその前提に立ったとき、私たちは「絶滅」についてどのように語り、考えることができるのか。

 

 絶滅について語り、考えるにあたって本書が提示する重要な概念のひとつが「空の飛び方/飛行経路」[flight ways](この書評では<フライト・ウェイズ>と呼ぼう)だ。この言葉を通じて提案されているのは、鳥たちが長い年月をかけて繁殖を繰り返してきた<道のり>と、鳥たちによる世界とのかかわりの<あり方>を重ねて考えることだろう。すなわち「種」を、いままさに空を飛んでいる数えきれない鳥たちの流動のように考えるということだ。

 

 フライト・ウェイズという言葉を用いれば、絶滅の定義は次のようになる。

 

絶滅とは、まさにその性質上、「空の飛び方/飛行経路」〔フライト・ウェイズ〕がゆっくりとほどけていくことだ。(94)

 

これは単なる言い換えだろうか? だとしても<言い方>の問題こそが重要なのではないか。たとえばオーストラリアのシドニー湾のマンリーという海岸に営巣するコガタペンギンたちは、人間による海岸線の改変や防波堤の設置によって数を減らしているという。ペンギンたちが巣へ戻る道を塞ぐことは、まさにフライト・ウェイズを塞ぐことだ。その営みのおぞましさは<種の絶滅>という言説の枠組みにおいては隠蔽される。なにかの種がどこかで<人知れず>絶滅の危機に瀕しているのではない。そうではなく、私も、あなたも、鳥たちのフライト・ウェイズの一端に立ち、その瓦解に手を貸しているのだ。

 

 フライト・ウェイズの「交差」(70)として人間と鳥のかかわりを考えるとき、人間を特別な存在とみなす「人間例外主義」的な視点では見えていなかったものが見えてくるようになる。著者の目の前にも1羽の鳥がやってくる。コガタペンギンについての章の冒頭で、著者は次のように書いている。

 

 ある1つのイメージが、私を捉え、揺さぶっている。それは、1羽のペンギンが営巣地に戻ろうとしているが、そこにはもう営巣地も巣穴もなく、環境があまりに変わりすぎていて暮らすこともできないというもので、本章はそのイメージに対する私なりの返答である。(105)

 

なんと悲しいイメージだろう。そして本書で最も感動的な記述だと私は思う。1羽のペンギンに捧げられた文章。そういう文章が、この世界にはもっと必要だ。