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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

1羽のペンギンへの返答【評=林真】

トム・ヴァン・ドゥーレン『絶滅へむかう鳥たち――絡まり合う生命と喪失の物語』(西尾義人訳、青土社、2023)

 絶滅とはいかなる事態か。本書は「絶滅のなだらかな縁」にいる鳥たち――ミッドウェー島のアホウドリ、インドのハゲワシ、シドニー湾のコガタペンギン、アメリカシロヅル、ハワイガラス――をめぐる5つの章を通じてその問いを探求する。

 

 本書が再考を促すのは「ある1つの『種類』あるいは系統の最後の個体の死という単独の事象が絶滅であるという捉え方」だ。著者にとって「絶滅は、明確な区切りをもつ単独の事象――始まると急速に展開し、やがて終わりを迎えるもの――などでは決してない」(94)。そうではなく絶滅とは「なだらかな縁」をもつ事態なのだ。これは考えてみれば当然のことだろう。種というものが地球上でそれぞれ独立して存在するはずがない。ではその前提に立ったとき、私たちは「絶滅」についてどのように語り、考えることができるのか。

 

 絶滅について語り、考えるにあたって本書が提示する重要な概念のひとつが「空の飛び方/飛行経路」[flight ways](この書評では<フライト・ウェイズ>と呼ぼう)だ。この言葉を通じて提案されているのは、鳥たちが長い年月をかけて繁殖を繰り返してきた<道のり>と、鳥たちによる世界とのかかわりの<あり方>を重ねて考えることだろう。すなわち「種」を、いままさに空を飛んでいる数えきれない鳥たちの流動のように考えるということだ。

 

 フライト・ウェイズという言葉を用いれば、絶滅の定義は次のようになる。

 

絶滅とは、まさにその性質上、「空の飛び方/飛行経路」〔フライト・ウェイズ〕がゆっくりとほどけていくことだ。(94)

 

これは単なる言い換えだろうか? だとしても<言い方>の問題こそが重要なのではないか。たとえばオーストラリアのシドニー湾のマンリーという海岸に営巣するコガタペンギンたちは、人間による海岸線の改変や防波堤の設置によって数を減らしているという。ペンギンたちが巣へ戻る道を塞ぐことは、まさにフライト・ウェイズを塞ぐことだ。その営みのおぞましさは<種の絶滅>という言説の枠組みにおいては隠蔽される。なにかの種がどこかで<人知れず>絶滅の危機に瀕しているのではない。そうではなく、私も、あなたも、鳥たちのフライト・ウェイズの一端に立ち、その瓦解に手を貸しているのだ。

 

 フライト・ウェイズの「交差」(70)として人間と鳥のかかわりを考えるとき、人間を特別な存在とみなす「人間例外主義」的な視点では見えていなかったものが見えてくるようになる。著者の目の前にも1羽の鳥がやってくる。コガタペンギンについての章の冒頭で、著者は次のように書いている。

 

 ある1つのイメージが、私を捉え、揺さぶっている。それは、1羽のペンギンが営巣地に戻ろうとしているが、そこにはもう営巣地も巣穴もなく、環境があまりに変わりすぎていて暮らすこともできないというもので、本章はそのイメージに対する私なりの返答である。(105)

 

なんと悲しいイメージだろう。そして本書で最も感動的な記述だと私は思う。1羽のペンギンに捧げられた文章。そういう文章が、この世界にはもっと必要だ。