同僚の倉石さんは元横浜美術館の学芸員で、2007年に明治理工に美術史担当として来ていただきました。北海道の「写真の町東川賞」の審査員を務めていらっしゃいます。今年もそろそろ東川にいらっしゃるんでしたっけ?
東川、明日です。
東川町って、ぼくはイメージないんだけど、どんなところですか。
すごくいいところなんですけれど、特徴としては真っ平らで日陰がない。だから年によってはむちゃくちゃ暑い。
えー、そうなんだ。完全に農業地帯ですか。
農業地帯だし、北海道では唯一人口が増えているところです、札幌以外で。非常に産業がうまく回っているようです。農業以外だと、旭川に近いということもあってか家具を作ったり、杜氏を呼んで日本酒を作ったりとか、新しいことにいろいろチャレンジしている町で、活気がありますね。
それは期待できそう。移住先にしようかしら。
そういう方々もふえているらしいですよ。
おもしろいなあ。賞には何年前から関わっていらっしゃいますか。
ええっと、4、5年前かな。今年の受賞者は鷹野隆大さんが本賞にあたる国内作家賞で、新人作家賞が笹岡啓子さん。ロシア出身のエレナ・トゥタッチコワさんが特別作家賞、動物写真の宮崎学さんが飛騨野数右衛門賞という、いろいろな角度から写真を評価する賞に選ばれています。
宮崎さんはぼくもすごく興味があるんですけれど、あのような野生動物の写真、どう思われますか。ええっと、ロボット写真じゃなくて…
ロボットカメラで撮る熊とか。
おもしろいですよね。撮影者の意図だけではどうにもならないというか、そこに動物が現れてくれるかどうかがすべて。人間の目撃者すら必要ではない。
やっぱり動物の適応能力みたいなのが、すごいなあと思いますね。
このあいだアメリカの友人のクリスティン・マランという文学研究者が、こうした「トラップ・キャム」(野生動物に対して罠のように仕掛けられたカメラ)についての発表の中でいってたんだけど、偶然何かが写ってしまうという自然力の介入は、リュミエール兄弟のころからあった。初期のリュミエール作品を見た人々は、樹木の葉っぱがゆれたり、海の波が白く飛ぶのをおもしろがり、感動した。動画にしても写真にしても、そんな自然の介入自体、ぼくにはすごく興味深いのですが、どう考えればいいでしょう。
それがあるから他のメディウムとちがうおもしろさがあるんでしょうね、きっと。ただそれをこんどまた、写真家にしろ映像作家にしろ、コントロールしようとするのが問題かも。それがコントロールできるものになっちゃったら、それはもう文法みたいなもので、おもしろくない。つねに新鮮さを保つということはどうやったらやっていけるのかなというのが、むずかしいところですね。
倉石さん、自分では写真を撮ってるんですか。
いやあ、ぜんぜん撮ってないですね。昔から下手ですし(笑)。だから写真家の人を尊敬してます(笑)。
でも写真の上手い下手って何かな。
なんだろう。むずかしいですね。上手い下手って最初はあると思うんですけど、ただ上手い写真って、やがてパターン化されたものになっちゃうから、逆に下手なほうがいいっていう面もあって。
ああ。ぼくはギタリストの演奏なんかに、それを感じることがあります。超絶うまい人がじつは退屈。
うまいと鼻につくというか。むしろ最初の入り方としては下手というか、「うまい写真」の文法みたいなものを疑っていた方が、長続きする面もあるのかもしれない。それで、いずれにしても「その先」が大事なのかもしれないですね。