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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

山口さんに会ってみたい【評=林真】

山口勲『ボタ山のあるぼくの町——山口勲写真集』(海鳥社、2006)

 

 幼なじみの女の子にカメラを借りて以来、ずうっと炭鉱を撮ってきたってのは、今思えば自分の生き様を撮ってきてるんですね。仕事してる人、風呂に入っとる人、路地で赤ちゃんあやしてる人、それから遺体になって柩に入ってる人も、全部自分の姿ですよ。自分の歴史を刻むというようなことですかなあ。(136)

 

 写真家本人によるこの言葉が、本書のことをよくあらわしていると思う。山口勲は1937年に福岡県中間市で生まれ、日炭高松炭鉱のあった水巻町で育ち、同炭鉱で働きながら写真を撮りためた。本書には彼の撮影した写真と、彼がみずからの人生について語った言葉の聞き書き、それに加えて本橋成一・姜信子・鎌田慧・栗原達男・森崎和江らによる文章などがおさめられている。

 

 本書を手にするまで、私は寡聞にして山口勲のことを知らなかった。なんとなくページをめくっていて、衝撃を受けた。34ページの写真を目にしたときだ。座敷の宴会場に机が並べられ、その上には料理ののった皿やたくさんのビール瓶などが置かれている。机のうしろでは、小学校の同窓会である旨が書かれた横断幕の下で卒業生たちが段になってカメラに笑顔を向けている。要は本当に、同窓会の気取らない記念写真なのだ! 普段からカメラを手に町の写真を撮り歩いている山口が、当然のこととして知り合い(この写真の場合は山口の同級生?)たちの写真を撮ることになったのだろう。本書に掲載されている写真の多くが、そうした想像を掻き立てる。山口がこの町でカメラを提げて写真を撮るのは、撮る側・撮られる側にとって<あたりまえ>のことだったのではないかと思えてくるのだ。

 

 緊張に満ちた写真もある。たとえば「三池労働組合葬(1963年11月13日)」というキャプションのついた屋外での葬儀の写真。本書の解説部分を参照すると、「1963年11月9日、三井三池三川鉱で炭塵爆発、死者458人、負傷者717名を出す事故が起き」たとある(64)。たくさんの遺影が空にそびえている。その手前には喪服の人々の背中がある。遺影が整然と並べられた様子に、なぜか私は一瞬、自分の目を疑う。多くの犠牲を前提として発展が目指されるこの国の経済とは、いったいなんなのだろうか。私はそう考えはじめざるをえない。

 

 そして、柩に納められた遺体と、嘆き悲しむ家族の写真。冒頭で引用したように、その遺体をふくめて彼の写真に写るのは「全部自分の姿」だと山口は語る。落盤で腰から下までが埋まったこともあるという山口からすれば、その遺体が自分だったかもしれないという思いは切実なものだろう。だがそうした被写体への一体化ということにとどまらないものが、彼の写真にはあるように思える。

 

 写真を撮ることは「自分の歴史を刻むというようなことですかなあ」と山口は言っていた。山口がそう語るとき、それは被写体を自分の人生の鏡映しとしてとらえるということとは違う(と思う)。そうではなく、撮るという行為にいたるまでのみずからのふるまいをそれぞれの写真に刻んでいる、ということではないだろうか。たとえば、同窓会の写真を撮るときの「〇〇さん、もうちょっと左!」という掛け声(この台詞は完全に私の想像)や、葬儀の写真を撮るときのためらいが、彼の写真には刻まれているように思えてならない。うまくいえないが、とにかく山口の写真を見ていると、彼の人生と炭鉱の町が同時に身に染みて感じられるのだ。

 

 私は、炭鉱跡のある町を歩いたことが何度かある。長崎の池島や福岡の志免などを、カメラを首から提げてさまよった。部外者の私が、物珍しいものとして炭鉱に関連する建造物などの写真を撮る。そのことに、当時からうしろめたさを感じていた。そしてそのうしろめたさについて、私はいまも考え続けている。答えは出ない。ただ、この本を読み終えて、私は思っている。この町に行ってみたい。山口さんに会ってみたい。