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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

小林エリカさん紹介

【7月23日、青山学院大学にて開催されたASLE-Japan文学・環境学会例会では小林エリカさんによる特別講演が行われました。冒頭の管啓次郎による講演者紹介をここに採録します。】

 

 小林エリカさんをご紹介します。といっても、改めてご紹介する必要すらないことはいうまでもないのですが、本日、文学=環境学会のこの場にお迎えすることができて、心からうれしく思っています。小林エリカさんは、疑いなく現代の日本語で書くもっとも独創的な才能のひとりです。小説家、漫画家、アーティストとして、きわめて大きな構想力をもって、他の誰にも似ていない創作活動を続けていらっしゃいます。

 

 小林さんは1978年生まれですが、ぼくは彼女の20代のころの活動は、残念ながらあまり知りません。目を瞠ったのは2011年に刊行された『親愛なるキティーたちへ』(リトルモア)、そして2013年に刊行された『光の子ども 1』(リトルモア)でした。いずれも非常に大きなヴィジョンをもって構想された作品です。科学技術や政治社会の大きな歴史が、個人的で小さな歴史とひとつにないあわされ、いまここ、たとえば現代の東京が、かつてあったどこか、たとえば遠いヨーロッパの土地との対比において捉えられます。

 

 追求されるのは放射能と原子力、ナチズムとホロコーストといった、きわめて大きくて重い問題ですが、それがアンネ・フランクやマリー・キュリーといった実在した女性たちの小さくてかけがえのない個人的な生を、いわば丁寧に思い出すことを通じて、なまなましく捉え直される。絶えず思い出されるのはエリカさんご自身のご家族の歴史、ご両親のみならずおじいさま、おばあさまも含めてのプライヴェートな歴史でもあり、マクロなものとミクロなものが交錯するこの重層的なヒストリオグラフィ(歴史記述)こそ、彼女の作品の芯をなすものだといえるでしょう。

 

 2013年、青森県で開催された十和田奥入瀬芸術祭に際して、ぼくは芸術祭の参加作品として『十和田奥入瀬 水と土地をめぐる旅』という書籍を編集しました。そこに石田千さん、小野正嗣さんとともに、小林エリカさんにも「湖底」と題する小説を寄稿していただきました。ぼくにとっては大変に思い出深い文章です。そのしめくくりの一節を引用させてください。

 

二〇万年前のこと。

火山の噴火がはじまった。その場所はずっと後に十和田湖という湖になる。現在のヒトと呼ばれる、ホモ・サピエンスがアフリカにあらわれる。

 

 

 夕方六時。電柱の上の小さなスピーカーから音楽が流れはじめる。メロディーはアントニン・ドヴォルザークの「新世界より」。

 陽が落ちてゆく。そしてあたりは湖底とおなじ闇に包まれる。

 そうしてしばらくすると空には星が出る。いつかはここも湖底と地続きに繋がるその山の一部であったし、湖底もまた地面の上に広がる山の一部であった。

 

                      

 地質学的な想像力、人類史の全体にわたる長い時間の感覚、その中で人間が作り出した芸術作品への敬意、そして何よりも時空の中の「いま、ここ」という一点をいつくしむ気持ち。こんな感覚こそ、われわれ文学・環境学会にとっても大きな指針となる、進むべき方向をしめしてくれるものだといっていいでしょう。

 

 小林さんの最近の作品としては、東京オリンピックにまっこうから戦いを挑んだ『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(集英社、2019)があります。ぼくが木村友祐さんや温又柔さんらと運営してきた鉄犬ヘテロトピア文学賞は、この作品を第7回受賞作として選出しました。またこの作品はつい最近英訳が出版されたばかりで、日本時間で来週27日の水曜日朝、訳者ブライアン・バーグストロームさんと作者・小林エリカさんのオンライン対談が開催されるようです。今後、世界的に多くの読者を集めることでしょう。また昨年の夏に単行本として刊行された『最後の挨拶』(講談社)の表題作では、医師でありエスぺランティストでありシャーロック・ホームズ研究家だったお父上の生涯をふりかえりつつ、ご家族の歴史をみごとに語りなおしていらっしゃいます。それでは、エリカさんのヴィジョンを、ぞんぶんに語っていただきましょう。みなさま拍手でおむかえください。