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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

「接ぎ木」という方法【評=中野行準】

桑木野幸司『ルネサンス 情報革命の時代』(ちくま新書、2022)

 

 ルネサンスときいてまず思い浮かべることはなんだろうか。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、ダンテやペトラルカなどの大芸術家たちの成し遂げた芸術的達成か、あるいは彼らの輝かしい業績に覆い隠されることの多かった占星術や魔術などの非理性的とも呼ばれる幾多の出来事か。ルネサンスという文化運動が語られるときに、その光の部分を強調するか、闇の部分を強調するかで、その印象は大きく変わる。しかし、光と闇のどちらを強調するにしても、まず確実だと思われることがひとつある。それはこの時代、ヨーロッパでは情報があふれんばかりになっていたということだ。

 

 本書の主な対象は15世紀以降なのだが、それ以前にも12世紀ルネサンスやカロリング朝ルネサンスと呼ばれる古典の復興運動はあった。しかし、15世紀以降の運動では情報の量がそれ以前と桁違いだ。海外進出の本格化は大量の未知の情報をヨーロッパにもたらし、活版印刷によってそれらの情報が市民社会に一斉に流通した。著者はこの事態を「情報爆発」と呼び、ルネサンス期の人々がどのようにそれらの情報を処理したかを紹介しながら、そこにあらわれる方法論について考察する。そこでキーワードとなるのが「接ぎ木」(317)という発想である。未知の情報は、それまでの知の体系を破壊した上で、新しい認識の枠組みにおいて捉えられたのではなかった。それらは既知の情報につなげて解釈(=「接ぎ木」)されることで人々に受け入れられたのだ。

 

 たとえば、南アメリカ原産のアルマジロ。ある博物誌のなかで、この動物は「体には薬効があり、性格は温和にして順従、攻撃を受けたときのみ身を守る、すなわちこれぞ美徳のシンボル」(278)と説明される。未知の生物であるアルマジロがエンブレム本の形式によって解釈されているのだ(エンブレム本とは、ある事柄に関する象徴や寓意の解説本であり、解説には古典からの引用が載せられることも多い)。新種のアルマジロは「美徳」という性質を(いい加減にも)付与され、旧種とともに並べられることで、既知の枠組みに取り込まれていくのである。未知のものは既知のものに「接ぎ木」されることで、読者の認識の枠組みを逸脱することなしに解釈されたのだ。

 

 海外進出の成果である海図にも同様の「接ぎ木」の痕跡が見られる。メキシコ(現在のメキシコシティ、かつては水上都市テノチティトランとして栄えた)は、ある地図の上でこう記述されているという。

 

 同市は、ヴェネツィアのごとく水上に浮かび、現在の住民はすべてキリスト教徒。創意には欠けるが順従で、教えられたことはたちどころに習得する。スペイン王によって大学が設置され、四〇〇〇名の学生が学ぶ。住戸数は一〇万あまり。それに比してヴェネツィアの規模は三分の二程度に過ぎない、云々。(51)

 

メキシコという未知の土地が、ヨーロッパの水上都市ヴェネツィアとの比較によって記述されていることから明らかなように、ここでも既知のフレームが未知の情報に「接ぎ木」されている。ヨーロッパの視線で、ヨーロッパの枠組みで新大陸を眺め、認識すること。このような態度が植民地主義につながっていることはいうまでもないだろう。

 

 未知はあくまで既知に「接ぎ木」される形で解釈される。それでは、解釈されたそれらの莫大な情報はどのように整理・活用されるのか。活版印刷以降、それまでとは段違いの量の本が市場に流通した。大量の本が誕生すると次に生まれるものはなにか。本についての本、書誌である。もちろん、書誌自体は古代からあったのだが、その数や種類はすくなかった。活版印刷の発明以降、書誌は種類も量も急激に増大する。

 

 古代から現代まですべての本の情報を掲載したと豪語する『万物書誌』(1545)なる書誌や焚書目録、すなわち読んではいけない本のリストなどその種類はさまざまなのだが、面白いのはカトリック系の焚書目録に上記の『万物書誌』も含まれていることだ。『万物書誌』にプロテスタント系の書物や異端思想に関する書物が載せられていることがその原因なのだが、その焚書目録をつくるために、禁書であるはずの『万物書誌』が参考にされていたというのだからおかしな話である。読んではいけない本のリストをつくるために、読んではいけない本が十分に活用されていたのだ。皮肉なことでもあるが、カトリック系の焚書目録に載せられた本は、プロテスタント圏でかなり売れた。書誌はいろんな意味でその役割を果たしていたのだといえよう。

 

 本のさまざまな抜粋集もまたこの時代に多くの人の関心を集めた。エラスムスの初期の作品『格言集』(1500)にはギリシア・ラテンの古典から様々な格言が集められ、ある基準で分類されていた。読者はこれを読めば教養をひけらかすことができるし、ラテン語をうまく使いこなすためのお手本集にもなっていた。ルネサンスを情報という視点で考えている本書はこういった抜粋集のある側面に注目する。それは、エラスムスがいかなる基準で格言を分類していったかである。「類似」「反対」などの基準によって分類されたさまざまな格言は、読者自身がフレーズ抜粋をするさいの指標ともなりえた。それはやがてコモンプレイス・ブックの登場へとつながっていく。

 

 コモンプレイス・ブックとは特定のトピックに応じてさまざまな古典著作からの引用を並べたものである。最初期のコモンプレイス・ブックである『オッフィキーナ』(1520)では、冒頭いきなり「自殺者」というトピックが掲げられ、151人もの自殺者が古典の著作から引用・紹介されている。冒頭にそんなおどろおどろしいトピックを掲げている理由は不明だが、「人々の衣服」「詩的描写例」などトピックは多岐にわたり、それぞれのトピックに応じて古典著作からの引用が紹介される。いまでいうレファレンス本の一種だと考えればいいだろう。

 

 こういった本が読者にとってネタ本的な楽しさを与えていたことはいうまでもないが、その分類体系が思考の様式にも影響を与えていたのではないかと著者は推測する。分類を自分なりにつくり、体験したことをそれらの分類に沿って付け加えていけば、自分の人生のコモンプレイス・ブックができあがる。実際、旅先にコモンプレイス・ノートブックを持っていき、体験をトピックごとに分類するということが頻繁に行われていたらしい。

 

 人類の歴史に関するあらゆる経験についてまとめたというコモンプレイス・ブック『人生の劇場』(1565)というものまで登場し、世界のすべての事象がヨーロッパを中心として分類されていく。このようなコモンプレイス・ブックにも「接ぎ木」という方法論につながるものがあるといえる。つまり、コモンプレイス・ブックというのは既知の言語化であり、未知を既知に「接ぎ木」するための媒介装置なのである。著者はこれを「ショック・アブソーバーとしてのコモンプレイス」(194)と呼んでいる。つまり、未知の経験の恐怖をやわらげ、その経験を自分たちの分類に従わせるためにコモンプレイス・ブックは活用されたのだ。古典作品の引用は、自分たちの認識を正当なものだと見なし、自分たちを伝統に連なる存在だと保証する。先にも述べたが、ここに植民地主義の萌芽を見いだすのは容易い。

 

 ここでは取り上げることができなかったが、記憶術や博物館の誕生など本書が取り上げる話題は多岐にわたる。それらはあふれんばかりの情報に直面した人々が工夫して発明した装置であるに違いないし、それらのいくつかは形を変えながら現代でも活用されている。しかし、その後の歴史を考えると、このころに発明された「接ぎ木」という方法が多くの悲惨な出来事を生み出したのは疑いようがない。強引に接ぎ合わされた木は頑丈に見えても、いずれは歪むか亀裂がはいる。現代でもいたるところに見受けられるそのような歪みや亀裂を未来にまで持ちこまないためには、たぶん根本的な思考の転換が必要だろう。そういうことまで考えさせる1冊である。