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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

コーヒーと「海の女」たち【評=林真】

マーガレット・ウィルソン『アイスランド 海の女の人類学』(向井和美訳、青土社、2022)

 

 海を進む漁船を想像してみる。そこに乗っているのは誰だろう。みな男性? なぜそう思ったのだろう。そう思う事態に<なっている>のだろう。

 

 アイスランドで船長として活躍したスリーズル・エイナルスドッティル(1777–1863)という女性のことを知った著者は、アイスランドにおける女性船乗りの歴史を調べてゆく。そこでみえてきたのは「1700年代から1800年代後半にかけて」のアイスランド、「とりわけアイスランド西部と南部ではきわめて多くの——何百人もの——女性が海で働いていたということ」だった(86)。しかし現代のアイスランドでは、他の多くの地域と同じく、船乗りは男の仕事と考えられている。それはなぜか? 著者マーガレット・ウィルソンは多くの「海の女」たちから話を聞き、その理由を探ってゆく。

 

 ウィルソンによる記述は「海の女」たちとの対話を巧みに織りまぜながら進む。18世紀など過去に活躍した「海の女」たちのエピソードが紹介されることも多い。驚くべきは、その部分でも発揮されるウィルソンの<語り>の妙だ。まるで今日の女性たちからの聞き書きと同じく、コーヒーを飲みながら(本書ではじめて知ったのだが、アイスランドではコーヒーが非常によく飲まれるらしい)本人たちから聞いた話であるかのように思えてくる。それはウィルソンが100年以上前の「海の女」たちを、文献の中だけに登場する<記録>としてではなく、アイスランドの土地で生きていた生身の人々として描こうとしているからだろう。いいかえればウィルソンは、過去の「海の女」たちを描きだす際にも現在の「海の女」たちを描きだす際にも態度——読者に彼女らの生き方を伝える<語り部>としての態度——を変えることがない。だからこそ、過去と現在それぞれにおける「海の女」をとりまく状況の類似と相違が鮮明に浮かび上がってくる。この探求をつうじてウィルソンが見いだしてゆくのは、資本主義と近代化がアイスランドにもたらした強烈な変化だ。

 

 ウィルソンの文章は彼女自身による探求と呼応するように進んでゆく。はじめてアイスランドを訪れた年のことを思い出し、彼女は次のように書いている。

 

 その年の5月、わたしは午前3時に人と雑談を交わす経験をした。ここでは「夜遅い」という言葉が意味を持たない。いつ果てるとも知れない黄昏の光が、赤みがかったオレンジ色から深紅色まで縞模様となって色合いを変えていき、コバルト色の影があらわれる。やがてどこかの時点で、いつのまにか黄昏は暗闇にではなく、新たな一日の明るい光へと変わっていく。「夜」の定義には柔軟性があることを、わたしは学びつつあった。(18)

 

あるいはこの途切れることのない光がコーヒーを要求するのだろうか。読者もまた、彼女とともに一概には断定できない事柄について次々と学ぶことになる。驚きのつまった本だ。