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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

ゼラニウムってどんな花?【評=林真】

カシア・ボディ『ゼラニウムの文化誌』(富原まさ江訳、原書房、2022)

 

 ゼラニウムという花の名は、妙に記憶に残る響きをもっていないだろうか。私は長い間、ゼラニウムという呼び名が実際にどの花をさすのかさえ知らなかった。そもそも、広くゼラニウムとして認識されている花は植物学の分類ではペラルゴニウムというらしい。そのことすら本書ではじめて知った<ゼラニウム初心者>の私だが、これまでずっと「ゼラニウム」という文字の並びを見ると「お、ゼラニウムだ」とよく分からない親しみを覚えていた。本書を読んで分かったのは、そうした私のちょっとした思い入れにも広大な歴史的・文化的背景があるということだ。

 

 南アフリカを原産地とするゼラニウムは、植民地経営を通じてヨーロッパ中に広まり、次第に「温室の外来植物から、一般的なイメージとしても現実の生活においても窓辺や花壇に欠かせない」ものとなっていった(77)。特に19世紀のイギリスでは、その象徴的意味合いは大きかったようだ。著者は以下のように書く。

 

都会の工業都市でも、極端な話インドの丘陵地帯でも、ゼラニウムを飾ることで「イギリスの田舎らしさ」を感じることができた。また、ゼラニウムが地面から引き抜かれて鉢に植えられる様子は、この植物の持ち主がある場所から狭い共同住宅に押しこまれている現実と重なる。(124)

 

南アフリカから持ち込まれ、栽培化・大量生産されたゼラニウムが、都市へやってきて工場で働く労働者と重ねられていたということだろう。実際、ヴィクトリア朝の労働者たちの中にはゼラニウムを育ててみずからの目を楽しませていた者も少なくなかったようだ。そして、そうしたつながりはある意味で定番化してゆく。

 

1843年のトーマス・フッドの詩「シャツの歌」が高く評価されて以降は、屋根裏部屋に住む孤独なお針子が「プリムラやサクラソウの甘い香り」に憧れながら実際にはひょろりとしたゼラニウムで我慢するというイメージが人気のテーマとなる。ほとんどのお針子は集団で仕事をしていたので厳密に言えばこのイメージは正確ではないが、ヴィクトリア朝の文化において病弱な少女と弱々しい植物という組み合わせは説得力を持っていたのだ。『マンスフィールド・パーク』では、ヒロインのファニー・プライスも彼女が大切にしていたゼラニウムも花開いたが、ヴィクトリア朝の工業都市では女性とその植物は苦難の日々を送ることになる。(146-147)

 

このように産業社会の象徴ともなったゼラニウムに対する芸術家たちの反応はさまざまだった。たとえば T. S. エリオットが「ゼラニウムを荒地の植物——現代的で不快で、干からびた——として描写」(167)して以来、「現代生活に不満を抱く作家やシュルレアリスム的な傾向を持つ作家はゼラニウムを痛めつけて楽しんでいたかのようだ」(168)と著者は書く(やや大雑把な書きぶりではある)。

 

 一方で D. H. ロレンスにとってゼラニウムは下記のようなものだったと著者は指摘する。

 

太陽を好むこの花は、「強烈な」赤であれ「喜びに満ちた」ピンクであれ、社会的人工物や象徴ではなく、最も純粋で力強く、同時代の詩人エイミー・ローウェルも認めたように「生々しい」性的な性質を表現するものだった。(181、訳注は省略)

 

なるほど、植民地からもたらされ<大量生産>されたゼラニウムを産業社会の悪しき象徴ととらえるのはもっともな態度かもしれない。しかし、ゼラニウムをまっすぐに見つめることで産業社会が抑圧する<生々しさ>に直面しようとする態度もまた重要だろう。

 

 「花は雄弁な語り手だ」(117)と著者は書く。ゼラニウムという花を通じてさまざまな作品や出来事が並置されてゆく本書の語りもまた、雄弁で刺激的だ。ドストエフスキーの『罪と罰』や『悪霊』の解釈がおこなわれたかと思えば、次の章では現代のアグリビジネス企業がどのようにゼラニウムを流通させているかが語られる。植物の文化誌はおもしろい。

 

 他にもこんな文化誌の本はないだろうか。そう思っていると、同じ出版社から本書を含む「花と木の図書館」シリーズとして、さまざまな花と木の文化誌が出版されていることを知った(「訳者あとがき」によれば、イギリスの Reaktion Books という出版社の Reaktion’s Botanical series という叢書を邦訳しているようだ)。次は『食虫植物の文化誌』でも読んでみようかと思っている。