Coyote Reading

明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

「番猫肋身」なんと読む?【評=林真】

古川日出男『天音』(Tombac、2022)

 

 音とともにある旅の詩だ。この詩――古川日出男による初の詩作品にして長編詩――のタイトルはどう読むか。「てんおん」で間違いないと思う。「天音」が「てんおん」であるのには理由がある。引用しよう(文字の置き方まで熟慮されたこの縦書きの詩を横書きで表記するのは心苦しいが仕方ない)。

 

音を「おと」と言わずに「おん」と言ってON(62)

 

この詩は「音」を「おん」と読むことを選びとったのだ。日本語において漢字は音を選ばれ、音は漢字をあてられてきた。「何人」は「なにじん」とも「ナンニン」とも読むし(123)、「うけい」は「誓約」とも「宇気比」とも「祈」とも書く(30)。

 

日本語の不可思議

豊饒さ

曖昧さ(124)

 

 その「曖昧さ」はきっと、さまざまなものを曖昧にしてきた。抑圧してきた。音と文字を行き来しながら曖昧さが広まる様子は<感染>といっていいものかもしれない。詩に登場する「ニッポン19」という言葉が示唆的だ。

 

 COVID-19の検査を随所で受けながら、作家はカリフォルニアを、ボローニャを、トリノを旅する。そのあいだ、作家゠詩は音について考え続ける。音と漢字を揺らし続ける。いつしか長い髪の「天音」がそばにいる。詩のなかで「天音」がどのように響き渡るか。それは実際に詩を読んでもらうほかないだろう(あるいは2022年12月18日に本屋B&Bで開催されるイベント「天の音をみんなで聴け」https://bookandbeer.com/event/bb221218a_tenon/ で聴いてもらうほかないだろう)。圧倒されるに違いない。

 

 最後に、詩からもう少し引用してみよう。作家は「鉛」でできた経典の経文が訛ることを夢想する。言うまでもなく「なまり」が「なまり」になるのだ。

 

ハンニャハラミーもきっとバンニャンバラミー

その梵語の響きを

漢訳したらきっと

番猫肋身

あたりになって

二文字めの「猫」をニャンと読む

そういうお経は最高

訛りって最高(90-91)

 

「訛り」は日本語の「豊饒さ」だ。しかしただ漢字で「般若波羅蜜」と書いてしまえば、そこに「訛り」はあらわれない。だからこそ、作家゠詩は漢字を通じて「訛り」を現出させる。

 

さあ、歌ってゆこう(4)

 

このフレーズからはじまるのは、音と漢字を通じて日本語について考え抜く「最高」の詩篇なのだ。