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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

まるで昨日のことのように【評=大洞敦史】

韓石泉『韓石泉回想録 医師のみた台湾近現代史』(韓良俊編、杉本公子・洪郁如訳、あるむ、2017)

 

 台湾の町を歩くと、1945年以前の世界を身近に感じさせるものに出会うことがしばしばある。この台風の通り道で毅然と立ち続けている木造の民家や駅舎、壮麗な元官公庁舎や百貨店。さらには大正何年と彫られている墓石や、弾痕が点在する路地裏のレンガ壁などなど。第二次大戦末期、台湾の各都市にも頻繁に爆撃機や戦闘機が飛来し、地上を燃やしていた。

 

 本書は台南の著名な医師であり政治家でもあった韓石泉(1897-1963)が晩年に記した自伝の日本語訳に、子息による膨大な注釈と家族や友人による回想を加えたものだ。ある日三男の良誠氏と四男の良俊氏がぼくの蕎麦屋に来られて、この本をくださった。「空襲の記述をぜひ読んでください」と言い添えて。

 

……高く上がる炎を見て、その瞬間、一生かけて努力して得たすべてが、灰燼に帰したことを悟った。……娘はすでに気配もなく息もなく、ただ、塀のそばに横たわっていた。(111)

 

 その場所は、ぼくが毎日のように前をバイクで通っている、大きくハート型に刈り込まれたガジュマルが心をなごませてくれる韓内科医院だった。

 

 韓石泉氏は台湾が日本に割譲された二年後に生まれ、漢学塾の教師だった父から厳しい教育を受けて育ち、息子の死をきっかけにクリスチャンとなり、非暴力による台湾民族運動に参加し、そのために投獄もされた(のち無罪判決)。後に熊本に留学し、戦争で医院と娘を失い、戦後は台湾の中央政界で活躍した、当時の代表的な台湾知識人のひとりだ。本書にはその生い立ちから晩年に至るまでの人生が、そのときどきの社会や人々の分析と織り交ぜられながら克明に記録されている。近代の台湾を知るためには必読の本だ。

 

 1934年生まれの三男・良誠氏は、二代目院長として今も毎日患者さんを診察している。会いに行くたび、まるでつい昨日のことでもあるかのように戦争中の話を聞かせてくださる。中庭に高々とそびえるヤシの木は、爆弾が落ちた場所を忘れないために植えたそうだ。奥には防空壕跡があり、当時家族がそこに入って扉を閉めた直後に爆発が起きたという。そのまた奥には韓石泉夫妻の記念室があり、石泉氏の恩人である日本人の銅像が二つ置かれている(本書p.43とp.98に記述)。

 

 なお韓石泉氏を含め、日本統治期の記憶を公の目に触れる形で書き残している台湾人は、例外なく高等教育を受けたエリートたちだった。台湾人の子供の就学率は1938年になって50%に達した程度で、子供を学校に通わせる余裕もない家庭が多数を占めていた。翻訳者のひとりである洪郁如氏は、最近の著作『誰の日本時代 ジェンダー・階層・帝国の台湾史』(法政大学出版局、2021)において、そういう層の人々に焦点を当て、今まで書かれも語られもしてこなかった歴史を掘り起こしている。