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明治大学大学院<総合芸術系> 管啓次郎研究室の書評ブログ

オモニ、大地、草【評=谷口岳】

中川成美、西成彦編著 アンドレ・ヘイグ、金東僖、杉浦清文、劉怡臻、呉佩珍、栗山雄佑、謝惠貞、三須祐介著『旅する日本語——方法としての外地巡礼』(松籟社、2022)

 

 ひとが自分のなかにかたちづくる自然への感性は、うまれ育った場所・環境とわかちがたいものだ。いつか、そこにあったはずの「大地」や「空」を失ったとき、わたしたちはどのようなことばを用いてそれを語ることになるだろう。朝鮮で植民者二世としてうまれた森崎和江の詩には、その喪失が描かれている。森崎にとっての朝鮮は「私の鋳型」であり、オモニ(朝鮮人乳母)の背中に負ぶわれてみた世界であり、オモニの髪や頬の感触でもあり、わたしを包み込む大地や空そのものだった。森崎はだが、オモニの「かおりを知り、肌ざわりを知り、髪の毛を唇でなめ」ながらも、オモニの生活も、話すことばも実際には知りはしなかった。それは植民者と被植民者という関係が両者の生活文化を分け隔てていたためだ。虐げられる立場でありながら、虐げてくる者どもの子供を背負いあやし育ててくれたオモニを想い、森崎は複雑な心境に陥っている。

 

オモニ

ないている

 

大地の

はは

 

ははの

せなか

 

草の

せなか

 

草が

ないている

 

 

 森崎の詩「哀号」(詩集『ささ笛ひとつ』所収)で描かれるオモニは、「ないている」。ここに選ばれている森崎の詩的言語は、それぞれに密接な関連を感じさせながらつらなり、全体では暗い雰囲気をかたちづくっている。短く切り詰められたそれぞれのことばは一定のリズムで進みながら、「ないている」でまた元に戻る。どこまでも行き場のない回文のように行きつ戻りつしているようにも読める。そして「オモニ」は「草」と重ねられ、草は大地とつながり、オモニは大地と一体の存在であることを示しているように読める。

 

 やがて17歳で「内地」へ引き揚げた森崎は、オモニを失い、大地を失うことになる。そして同時に、「大地」が自分を含む植民者によって統治されていたことを自覚し、原風景を「懐かしいといってはならぬ」と自戒することとなった。植民者として生まれた自分に罪を背負わせ、喪失した自らの大地を懐かしがることも戒める森崎の態度は、自らの行き場を絶ち、足踏みさせるようなもどかしさを感じさせる。内地に帰ったことで気づくことはさまざまあっただろう。愛おしく想うオモニが自分を想ってくれていた気持ちは、単純な愛おしさからではなかったのかもしれない。「外地」にたまたま生まれてしまった子は、自ら選んだわけではないその境遇をどのように受け止めればよいというのか。そこにもどかしさがある。

 

 だが、決してそれは袋小路ではない。本書で森崎を論じた杉浦清文は、そのもどかしさが「活力の源泉」となる様子を描いてみせてくれている。戦後の「内地」で生きることは、経済至上主義とそれにともなう自然環境破壊に手を貸しながら生きることでもあった。わたしたちは、子や孫の世代に残すべき世界を、壊しながら生きて行かざるを得ない。森崎は、そのことに居たたまれなさを感じながらも、朝鮮半島の「ひろい空」に思いをはせ、そこに「いのち」の感覚を蘇らせ、「苦しみながら、しかし、救われてきた」という。朝鮮に対し罪の意識を感じながらも、思い描くその大地は森崎に力を与えてくれるものだった。立ち向かうものがあり、力を得なければ支配されてしまう、そのような場面において。それをたたかいといっても差し支えなければ、それは戦後日本社会に生きながらえてきた家父長制とのたたかいでもあり、また引き揚げ者をも均してしまうナショナリズムとのたたかいでもあったのではないか。オモニと同様に森崎もまた「女性」であり、彼女にとって生きることは、男が社会を支配し独断的な世界認識を全体へと強いてくる、そのようなものとのたたかいでもあった。そして、オモニを含む朝鮮に対して蔑みを隠さない社会のまなざしとのたたかいでもあっただろう。

 

 森崎は、植民地朝鮮での生活のなかに「体系化の外でのびのびと生きる人間群の本質」を感じながら育っていたという。植民者という特権的な立場であるからこその「のびのび」である危険性を十分に承知しながら、朝鮮で得た自らの自然環境へ向ける感性を、戦後の日本社会を抗いながら生きる「活力の源泉」としてきたともいえるだろう。思い描くオモニや大地と、内地での森崎自身の状況が単純に重ねられるわけではないが、愛おしさをともないながら繰り返したぐり寄せることで、その原風景が忘却されることはない。森崎の社会への批判はつねに自らへも突き刺さる。それを自覚しながら森崎は「体系化の外」に足場を固め、ことばを繰り出していく。

 

 本書で森崎和江を論じた「植民者二世と朝鮮――森崎和江の詩におけるダイアローグ、そして共振について――」(杉浦清文)は、植民者二世の複雑な立場を描いてみせる。ここには森崎と同じく朝鮮で生まれ内地へ引き揚げてきた男性の作家も数人登場する。そして彼らの存在は、森崎が女性としてオモニとより共振することを際立たせている。それぞれで違うインターセクショナリティを意識することを出発点としなければ、共振のポイントを見つけることは危うくなるのではないか。差異こそが、わずかながらある重なりを気づかせてくれるきっかけとなるように。

 

 言語は、それがうまれた土地を離れ、別の土地にたどりつきそこでも話され書かれることで、「旅」をする。本書『旅する日本語――方法としての外地巡礼』は、日本語がそのような「旅」を経験する状況について論じた論考集だ。ここで「外地」という語が用いられているのは、大日本帝国の植民地主義によって実現した「旅」について書かれているためだ。編者の西成彦は、研究者が知らずと得てしまう権力性を自覚したときに、自分たちの対極にある研究対象に描かれた「インテリ層」ではないひとびとが生き延びるために手にしたマルチ・リンガルの状況を無視してはならないと気づいたという。

 

 本書において、「外地」を経験した日本語は朝鮮、台湾、沖縄などさまざまな場所にあらわれている。それぞれの「旅」を貫いているものがあるとするなら、征服者が植民地へ強いる言語は、生活者の層において抑圧の記憶でつながる共同体と自己を切断し、解放を画策するためのことばに転換され得るということだろうか。そして、解放の主体同士が立場を違えながら重なりあうことを可能にする言語を、互いに探しあうこととなる。もどかしさを感じながらも、共振できる周波数にことばをチューニングしていくのだ。個と個とのわずかな重なり合いを、紐帯としていくために。

 

参考文献 「森崎和江インタビュー “生む・生まれる” ことば いのちの思想をめぐって」結城正美インタビュア&編集、『文学と環境』第14号、文学・環境学会、2011

 

追補

 本書を読むすこしまえに、たまたま映画『バンビ:ある女の誕生』(セバスチャン・リフシッツ監督、2013)を見た。アルジェリアで植民者の子として生まれた少年が、女として生きるためにアルジェリアでの生活をあきらめパリにたどりつく物語だ。そしてキャバレーのショーガールとして華やかな生活を送ったあと、フランスの田舎の中学校の教員として過去を知られず埋没して生きたという。バンビの語ることばは、植民地で育ちながら身につけたフランス語を基盤としながら、かつトランスジェンダー女性の身体性を強化するためのものでもあっただろう。内地を知らず育ったバンビが内地=パリで生きるとき話すことばは、外地=アルジェリアで話していたフランス語とは違うものでなければならなかったのだ。抑圧を強いてくる状況のなか、自らの「話し言葉」によって人生を泳ぎきる様子が描かれていたように思う。映画を見るまえに本書を読んでいたら、すこし感じ方も変わっていたのではないかと思えた。