キリン・ナラヤン『文章に生きる——チェーホフと、エスノグラフィーを書く』(波佐間逸博訳、新曜社、2025)
文章を書くとき、誰かとともに書いているように感じることがある。その「誰か」は会ったことのない人物のときもある。同じ時代を生きていないときもある。たとえばロシアの作家アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフのように。
本書『文章に生きる』は、エスノグラフィーや小説など、これまでたくさんの文章を発表してきた著者キリン・ナラヤンが、チェーホフの作品や人生を参照しながら作文術の手引きをしてくれる書物だ。しかし、ただのハウツー本ではない。事態はもう少し深長かつ愉快だ。というのも、夫の言葉として著者も書くように、これは「
ナラヤンはインドで生まれ、アメリカやオーストラリアで教える人類学者・作家。エスノグラフィーを書くことを励ます本(つまり本書)を構想していた彼女は、友人に勧められてチェーホフの『サハリン島』に出会い、彼の人生と作品に魅せられるようになる。ナラヤンが「エスノグラフィーの書き手やエスノグラフィー的な味わいを持つ文章を書く作家にチェーホフがインスピレーションを与える可能性」として挙げるのは次の3点。すなわち、「社会的な位置を行き来するエスノグラファーとしての彼の洞察力をはっきりと示している点」、「複数の職業的アイデンティティが、創作的な野心を刺激するということを身をもって示している点」、「社会的観点の変化や執筆ジャンル間の流動的な移動のおかげもあって、表象の問題を鋭く、時としてユーモアを交えてえぐり出している点」だ(30)。こう聞かされるだけで、あなたもすでに『サハリン島』を読みたくなってきたのではないだろうか。
ついで彼女はチェーホフにまつわるさまざまな資料(彼の文章、周囲の人々が彼について残した記録、さらには彼女の夢に出てきた彼の様子まで)から、文章を書くための重要なヒントを掬い出してゆく。やがてそれらのヒントが「ストーリーとセオリー」、「場所」、「人」、「声」、「自分」の5つの章にまとめられ、「書き物としてのエスノグラフィーを作るための技を授けてくれるような本」(vi)として完成したのが本書というわけだ。
本書の大きな魅力のひとつは、著者の語りによって、チェーホフという作家の姿が我々の前に生き生きと現れてくることだろう。ナラヤンは、単にチェーホフのことを紹介しているのではない。そうではなく、彼女がチェーホフから文章について学んだことを、チェーホフの姿を描くことを通じて、遂行的に読者に提示しているのだ。会ったことのない人物に師事することを私淑というが、これはまさに理想の私淑の形ではないかと思わされる。
本書で参照される書き手はチェーホフだけではない。クリフォード・ギアツ、マーガレット・ミード、アナ・チンといった優れたエスノグラフィーの書き手たちの文章も、ふんだんに引用される。それらの引用のあとに、「プロンプト」と著者が呼ぶ作文の例題が提示されるのも本書の大きな特徴だ。たとえば著者はケネス・リードという書き手が、ニューギニアでの調査をもとにしたエスノグラフィーにおいて「自分がその場に居合わせなかった重要な出来事」(115)を描いていることを紹介し、当該部分を引用する。それに続いて提示される「プロンプト」は次のようなものだ。
「私にはふと目に浮かぶのだが……」という書き出しで、直接目にしたわけではないけれども事後的に伝聞で知ったある瞬間における人物のようすを描写してみましょう。(そのイメージの情報源について言及してもよいでしょう。)(116)
具体的かつ、実際になにか書いてみたくなるような提案だ。書きたいものがあるのに書けずにいるとき、本書が提示する多数の「プロンプト」のどれかにもとづいてパラグラフをひとつ書いてみれば、そこから展望が一気に開けるかもしれない。そう、本書はまさに「
その他にも、この本には執筆に行き詰った際に役立ちそうな言葉たちがちりばめられている。私が深く頷きながら読んだのは、たとえば次のような助言だ。
手持ちの資料を眺め、再開のとっかかりを見つけましょう。ページの編集、インタビューの書き起こし、参考文献リストの作成なんかお勧めです。手を動かしているうちに、作品の構想があなたを捉えたときの初心を思いだし、気づくとあなたはふたたび前に進もうとしているでしょう。(214)
とても実用的かつ力づけられるアドバイスではないだろうか。
本書を読んでいると、チェーホフとともに文章を書く著者が「ともに書こう」と手を差し伸べてくれているような気分になる。チェーホフへの私淑の記録であり、優れたエスノグラフィーの案内書であり、文章を書くための実用書でもあるという『文章に生きる』の特徴は、いっけん奇妙なものに思えるかもしれない。しかし文章を書くといういとなみが、これまで文章を書いてきた<誰か>とともに、悩みながらも「前に進もうと」することなのだとすれば、この本はまさに、そうした生のあり方を明快に描き出しているのだ。